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カトリック教徒の美智子夫人が支配する皇室は、カトリックを国教とする南米やフィリピンの、荘園経営の枠を出ない特権階級を目指しているふうに見えます。カトリックを国教とする国は、どいつもこいつも、デフォルトの常連国ばかり。

司祭に懺悔して、お布施をはらえば、許される。だから、金があれば、何をやってもいい、というところに帰一するため、支配者は残忍で利己的、富の分配はなされず、市民は母子家庭だらけの、モラルのない犯罪だらけの社会で逼塞しています。

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「おもうさま」を「おとうさま」とよぶのをはじめ、全て平民化をすすめたのね。

皇室を、自分の実家の新興ブルジョワにレベルに押し下げる形になったのね。皇室の神性の解体が開始、その後、順調にいってるみたい。

普通の一般家庭になるということは、一般家庭のリスクもあるのね。

親という生身の人間の感情や好み、価値観が、そのまま家庭生活や家庭内秩序に反映されちゃうの。完ぺきな親ならいいわ。でも、そうじゃなかった場合、家庭のゆがみが、そのまま、皇室の場合は国運に反映するのね。

一般人のように育てられた子は、皇族としての公人の自覚が育つのは、本人の資質と覚悟しだいになってしまったの。

そして、皇室のご家庭が、プチブルの一般家庭のレベルに引き下げられたの。

そして、3人のお子様たちの育て方も一般人と同じレベルになったのね。

皇室特権と権威に守られながら、皇室破壊工作をすすめ、反日勢力と手を組み、国家転覆をたくらむ「皇后」。前代未聞ね。

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21世紀初頭時点で、親房が本当は何を言いたかったのか、いまだに一致した見解が得られていない。そもそも、誰に向けて、何のために書かれたのかすらも確定していない。『神皇正統記』本文および『神皇正統記』評を読む時は、この点に強く注意する必要がある。

最も有力な説は、幼少の後村上天皇を教育するための、帝王学の書という説である。この場合、主に『易経』(周易)および『孟子』からの影響が見られると言われる。それは、「南朝の正統性を主張した」などという素朴な国粋主義ではなく、「徳がない君主の皇統は断絶し、別の系統の皇統に正統が移る」という厳しい理論を後村上に突きつけたもので、易姓革命論ならぬ「易系革命」論とも言うことができる。そして、自身の皇統が正統であり続けるために、自己修養を疎かにせず、欲を捨てて民のために尽くすように訓戒したものであるという。

第二の説は、結城親朝ら東国武士を南朝に勧誘するための書という説である。武士にも日本の歴史がわかりやすいように、既存の歴史書よりも簡単に書くとともに、結城宗広(親朝父)や結城親光(親朝弟)の南朝への忠誠心を褒めることで、親朝らを自派へ引き込もうとしたのではないか、という。20世紀後半の一時期は通説に近かったが、その後の支持はやや落ちている。

第三の説として、「善とは何か」「正統、つまり過去・現在・未来に渡って持続する善は存在するのか」という哲学的命題を、自分自身に問いかけた哲学書であるという説がある。静的な現在の善は、儒学の有徳君主論によって保証することができる。過去から現在への善の持続は、天照大神の神勅や三種の神器などの神道の論理によって保証することができる。しかし、現在から未来への方向、動的に今まさに次の時間の流れに持続している現在の善は、本質的に行動を要請するものであり、言葉や文字によって全てを表現することはできない。『神皇正統記』の内容に揺れがあるのは、このためである。そして、親房が死の際に至るまで苦闘を続けたのは、『神皇正統記』では書き表すことができなかった摂理を行動によって示すためであり、北畠親房という人間の生涯そのものが、一つの生きた哲学書なのであるという。

岡野によれば、「正統」とは「南朝が絶対に正しい」といったような素朴で楽観的な南朝正統論とは、全くかけ離れているという。親房は、『孟子』の易姓革命思想の影響を受けており、易姓革命思想のうち天皇位が天皇家以外の人間に渡るかもしれないという部分は拒絶したものの、君主の徳によって、天皇家内部の皇統間で「正統」が移動することは認めており、『神皇正統記』はいわば「皇統内革命」あるいは「易系革命」という思想を示した書であるという。そして、親房はまだ幼い後村上天皇に対し、自分の欲を捨てて民のために尽くさねば、たとえ正しい血筋と三種の神器を兼ね備えた天皇であっても、帝位を失う可能性があり、北朝など別の皇統に敗北し自身の皇統が断絶する可能性は常にある、と厳しい現実を突きつけたのだという。ところが、親房の儒学思想自体は後世に大きく普及したのに、その一方で結果論として南朝は内乱に事実上敗北して断絶してしまったため、江戸時代前期には新井白石の『読史余論』で、南朝が断絶したのは南朝の君主が不徳だったからだ、と、敗者=悪玉論が論じられるなど、皮肉な結果になってしまった、という。

窪田の主張によれば、親房は過去・現在・未来を貫いて持続する善の存在を、理論付けたいと考えたのであるという。儒学における有徳君主論は、現在の徳によって、現在の秩序が維持されることを保証してくれる。しかし、それは過去から現在への善の流れは保証しない。そこで親房が持ち出したのが、天照大神の「天壌無窮」や三種の神器といった神道思想であり、これらの装置によって、始原から現在まで一貫して善が続いてきたことを保証することができる。しかし、何に依っても、未来に対し、「持続する現在」という善を表現することはできない。それは常に消滅の危機にあるのである。「持続する現在」というのは、書物という固定的な媒体とは本質的に相容れないものであり、『神皇正統記』の記述に矛盾や混乱が見られるのは、そこに求められるという。

未来への善の持続性というのは存在そのものに対する問いであり、そこに何らかの原理はあるとしても、それは言語によっては決して表現できない。したがって、思索者にして行動者たる親房は、「原理として語りえない原理的なるものを自らの生をとおして表現」しようとしたのではないか、という。

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