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 蘇我氏は稲目、馬子、蝦夷、入鹿が有名で「蘇我四代」と呼ばれる。日本書紀で政治の表舞台に最初に登場するのが稲目。第28代、宣化(せんか)天皇の時代に大臣となり、娘の堅塩媛(きたしひめ)を欽明天皇のもとに嫁がせ、のちの用明、推古天皇が生まれたことで外戚として権力基盤を築いた。


 稲目の子の馬子は聖徳太子とともに政治の実権を握り、第32代、崇峻(すしゅん)天皇を暗殺するなど独裁色を強め、蝦夷・入鹿父子の頃に絶頂期を迎えた。2人は自らの邸宅を「宮門(みかど)」、子供らを「王子」と呼ぶなど、天皇なみに振る舞ったという。


 しかし、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、宮殿の儀式の際に天皇の前で入鹿を殺害、邸宅に逃げ帰った蝦夷も自害し蘇我本家は滅亡した。この乙巳の変を機に大化の改新という政治改革が進められ、天皇を中心とする中央集権国家の道を歩むようになった。

 日本書紀蘇我氏の横暴をことさら強調するが、朝鮮半島から仏教や先進技術を取り入れて国際国家にしようと尽力した立役者だったとする見方が、研究者の間で広がっている。

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