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私が通っていた京都の鴨沂(おうき)高校では、学校の行事としてスキー合宿があり、滋賀県箱館山や長野県の小谷(おたり)まで滑りに出かけていました。小谷へは、大糸線という電車で行ったのを覚えています。


蕨平(わらびだいら)という村の民宿で2〜3日をすごして、みなでスキーを楽しみました。でもそのときは、自分たちが乗ってきた電車や、滑っている谷、泊まっている村が、日本列島を東西に真っ二つにしている大地溝の中にあるということなど、思いもよりませんでした。


ああ、あそこがフォッサマグナだったのかと気づいたのは、大学の3年生になって地質学を専攻するようになってからでした。将来は「地質屋」になろうとしていた人間でさえ、そうだったのです。

東西に長く延びた日本列島は、自然や文化などいろいろな面で、東と西では大きく様相が異なっています。


それは気候風土のみならず、人の気質、言葉づかい、食べものの好みから、電力周波数、石油ポリタンクの色、エスカレーターでは左右どちらに乗るかにまで及んでいるともいわれています。


そして、東西の境界線がフォッサマグナ地域あたりにあるらしいということは、知っている人には知られています。


いまあげた例には、本当にフォッサマグナが境界線なのか眉唾なものもありますが、フォッサマグナが日本列島を東西に分ける巨大構造であることは、間違いのない事実です。

私には、フォッサマグナは「鵺(ぬえ)」のようなものに思えてきました。鵺とは『平家物語』に出てくる怪物で、御所の紫宸殿(ししんでん)に夜な夜な現れ、顔が猿で胴体が狸、手足が虎で尻尾は蛇という、なんともとらえようのない姿で人間を幻惑します。これをみごとに射止めたのが、弓の達人であった源三位頼政(げんざんみよりまさ)でした。

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