今日のブラタモリに出てきた油日神社、鶴瓶の家族に乾杯で甲賀やっていた時に出てましたよね。出会った方のキャラがとても良くて面白かったのでよく覚えてます。
— ぬまこ (@ltrtak) March 7, 2020
そして甲賀が戦国時代から江戸時代までの時代の流れに縁がある土地だったので、麒麟、真田丸、葵徳川三代と色んな時代が頭を巡りました。
ブラタモリで「甲賀は織田家と共闘を選んだ」って話をして、真っ先に思ったのが滝川一益の存在だった。名前は知ってたけど出自は知らなかったので調べてみたら、やはり彼も甲賀出身だった。秀吉も甲賀を警戒してたという話も、織田家家臣として共に仕えてたからこそとは思った
— ななあき (@seven_fall) March 7, 2020
神君伊賀越えって、服部半蔵は活躍しないんだっけ…??
— 工藤 樹 (@itsukikudou) March 8, 2020
甲賀が活躍したんだっけ???
半蔵って、伊賀者だよね…??#ブラタモリ
#ブラタモリ 甲賀・信楽 水口の旧東海道が3本に分かれている道が地理院地図でわかる。水口石橋駅の東側。
— 大泣きお猿 (@oonakiosaru) March 8, 2020
地図で40年ぶりに水口に行ったつもりになってるし。https://t.co/kBfFqqdR8f pic.twitter.com/ocwCQ78FGB
現在の水口城の東、古城山にある。かつては「水口城」と呼ばれたが、水口城築城後は区別するため古城、岡山城と呼ばれている。この山は古くは「大岡山」あるいは「岡山」といい、山上には「岡観音」と呼ばれた大岡寺(現在は麓に移転)があったと伝えられている。
羽柴秀吉の命により中村一氏が天正13年(1585年)、甲賀郡の支配の拠点として築き、入城した。その時、平安時代の昔から、都から伊勢国へと通じる街道の要所として栄えていた宿場町水口の原型をつくった。その後、天正18年(1590年)に増田長盛が、文禄4年(1595年)には長束正家と五奉行を務めた2人が相次いで入城している。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは長束正家は西軍に属し、南宮山麓に布陣していたが戦闘には参加できず敗走。水口岡山城に籠城したが追ってきた池田長吉、亀井茲矩らに攻められて降伏、開城し、長束正家、直吉兄弟は切腹させられた。城はその後池田長吉の預かりとなったが、廃城となった。城の石垣は後に水口城の築城にあたり、部材として転用された。城そのものは廃城時もしくは水口城築城時に破却されたが、城跡は御用林とされ、結果的に保全された。
室町時代後期の長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2度に亘って室町幕府が行った近江守護・六角行高(後の六角高頼)に対する親征で、六角征伐とも称される。なお、1度目の出陣は近江国栗太郡鈎(まがり)(滋賀県栗東市)に在陣したため、別に鈎の陣とも称される。
ブラタモリは見てないけど、カフェポエムは私も利用しました🍴
— のえる (@max03261) March 8, 2020
カフェというより昭和の喫茶店的な雰囲気ですよね☕️🏠
この辺り、あまり飲食店がなくて私も昼食難民になりかけてました😅 pic.twitter.com/AYFFwgTDnV
#食事
【≪#ブラタモリ≫滋賀 #甲賀・#信楽】東の甲賀エリアで「歴史は甲賀で動いた!?」、西の信楽エリアで「なぜ信楽焼は日本を代表する焼き物になった!?」 。全く異なる2つの地域をブラブラ歩いて解き明かす。 #NHKオンデマンド で配信開始! https://t.co/KreNzkrdOc
— NHKオンデマンド (@nhk_ondemand) March 8, 2020
【画像】今日の副島萌生さん 3.7 - 激烈!女子アナニュース https://t.co/t7bn9Di18l
— amitamu (@amitamu91) 2020年3月7日
#テレビ