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東京都の小池知事は都庁で記者団に対し、25日、都内で新たに295人新型コロナウイルスに感染していることが確認されたと明らかにしました。1日の感染の確認が200人を超えるのは5日連続で、100人以上は17日連続になりました。

これで都内で感染が確認されたのは合わせて1万975人になりました。

また、小池知事は、295人のうち、20代と30代は合わせて185人で全体のおよそ63%を占め、40代と50代は合わせて75人で全体のおよそ25%だと説明しました。

そのうえで、小池知事は「感染予防を徹底してもらうことに尽きる。4連休の最中だが、特に高齢の方、既往症や持病のある方々などはできれば、できるだけ、外出を控えてもらいたい」と改めて呼びかけました。

東京都は25日、新型コロナウイルスの感染が確認された1人が死亡したことを明らかにしました。これで都内で死亡が確認されたのは合わせて328人になりました。

 どんな人物だったのか。当時、日本経済新聞の新人記者で、岸が退陣するまでの4か月間、総理番を務めた山岸一平・日本経済新聞社元専務が振り返る。

岸信介というと、満州国をつくった強面のイメージが強かったが、人間的で話しやすい人でした。岸さんの自宅に我々番記者は朝晩通うわけですが、『朝から、ご苦労』なんて気軽に声を掛けてくれる。ある時岸さんがふらっと記者クラブに顔を出して、『君らは勝手に、言いたいことを書けて良いな』なんて言ってきたことがある。が、『文句を言っているのではないぞ。娘を新聞記者(脚注=娘婿で安倍首相の父・晋太郎氏は毎日新聞記者出身)に嫁がせているくらいだからな』とも言って笑わせていました」

 安倍首相は安保改定を「隷属的な条約を対等なものに変えた」(『美しい国へ』)と祖父の大きな功績と受け止めている。

 しかし、商工省のエリート官僚出身だった岸の真骨頂は経済社会政策にあった。安保改定で見据えていたのは「日本の経済的自立」と「貧困からの脱出」だったことはあまり指摘されていない。まだ政界復帰する前、私設秘書だった川部美智雄に語った言葉がある。

「日本のためになるなら社会主義にだっておれは賛成する。但しだ、今の日本を見ろ、戦争に敗れ、生産力は落ち、分配なんて話は何の意味もない。今はとにかく日本経済を復興させて物を増やすことだ。今、分配しようたって3つの物を10人で奪い合ってるじゃないか。せめてあと7つ増やせ、そうすれば10人が1つずつ取れるじゃないか、今はその時代だ、経済復興優先の時代だ」

 それが岸の政界復帰の“原点”にある。

 1957年2月に首相に就いた岸は就任会見で「汚職、貧乏、暴力の三悪を追放したい」と「三悪追放」をスローガンに掲げて経済政策に力を入れる。

 最初に取り組んだのは中小企業対策だ。当時の日本は「なべ底不況」と呼ばれる不況に直面していた。

 戦後、吉田内閣は軽工業による輸出振興で外貨獲得を目指した。外交官出身の吉田は欧米型の自由経済論者であり、GHQ主導の財閥解体独占禁止法によって自由競争を促す政策をとった。日本経済は折からの朝鮮戦争の特需に沸いたものの、米国の高い原材料を買わされたため貿易収支は赤字で、特需が終わると中小企業がバタバタ倒れた。吉田の路線を岸はこう批判していた。

「中小企業は本質的に弱体なものであってこれを自由競争のまま放任すれば共倒れとなってしまうのである。これを振興する道は国家が確固たる中小企業対策を樹立し、保護助成を加えるということ以外にない」

 岸は、中小企業政策の大転換をはかる。中小企業団体組織法(1957年)で中小企業が商工組合をつくって生産調整、価格カルテル、大企業との団体交渉権を認めた。

「強い中小企業の育成がなければ国際競争には勝てない」というのが岸の考えであり、高い技術力をもつ分厚い層の中小企業がものづくりを支える日本の経済構造はここからはじまるといっていい。岸の経済政策の研究で知られる政治学者・長谷川隼人氏が指摘する。

「吉田政権の復興政策は、軍事的にも経済的にも米国に依存して復興を進めようというものだった。朝鮮戦争を契機として繊維産業など軽工業を優先的に復興させる。その上で日米安保体制によって特需収入を持続しつつ防衛負担を抑制するという『日米経済協力』によって大規模な外資導入をはかり、基幹産業の復興や重化学工業の育成を目指そうとしたわけです。

 これを岸は批判していました。岸は軍事的にも経済的にもアメリカという松葉杖に縋らなければ独立を維持できない状態から脱却することを国家の再建と位置づけ、輸出の即戦力となる中小企業を育成して外資に頼らずに自前で復興を図るという考えでした。そのためには、統制経済的な政策が必要になります」

 国家統制によって産業を保護しながら競争力を高めるという岸の考え方は、商工省の官僚時代に身につけたものだ。

 岸は商工省書記官時代(1926年)、第一次大戦後の不況下の欧米を視察し、米国の工業力に驚き、疲弊する自由経済の大国・英国の惨状に失望して、英国以上の被害を受けながら国家主導で再建に向かう敗戦国ドイツの産業合理化運動を学んだ。

「ドイツでは日本と同じように資源がないのに、発達した技術と経営の科学的管理によって経済の発展を図ろうとしていた。私は『日本の行く道はこれだ』と確信した」(原彬久著『岸信介』)

 そう回想しているが、満州国の経営でそれを実践している。電力を得るために東洋最大と呼ばれた豊満ダム(中国吉林省)を着工し、道路インフラを整備していった。

 日本の戦後復興でも国家主導の経済開発を進めていく。

「岸は日本初の高速道路『名神高速』の建設を1957年に開始すると、翌年には道路緊急整備措置法をはじめとする道路四法を成立させて道路整備5か年計画をスタートさせた。道路というと田中角栄首相が思い浮かぶかもしれませんが、その元をつくったのは岸です。電力については吉田首相は民間主導の石炭火力発電を重視していたが、岸は発電単価が安く自給可能な水力発電に力を入れ、産業全体の生産コスト低減を図るべきと考えた」(長谷川氏)

 こうした岸の経済思想は後輩の通産官僚に引き継がれ、“護送船団方式”で外資から日本企業を守り、育成していった。

 そして日本経済は岸内閣の下で「岩戸景気」と呼ばれる成長に向かうが、経済が成長すれば社会格差は広がる。

「それが日本のためになるなら社会主義にだっておれは賛成する」

 そういってのけた岸には復興の次に富の分配が政治テーマになることがはっきり見えていたようだ。「貧乏追放」の公約は今でいえば貧困撲滅、格差是正である。実は、岸の政策の中で歴史に最も大きな足跡を刻んだのが日本の社会保障制度を確立したことだ。

 岸は3年間の首相在任中に、「国民健康保険法」、「最低賃金法」、「国民年金法」を次々に成立させ、社会のセーフティネットを構築していく。それまでの健康保険には農家は加入できず、厚生年金は自営業者などは対象外だった。この法律で現在の国民皆保険、国民皆年金制度の基礎ができた。

 最低賃金法については岸が国会答弁で目的を語っている。

「日本の事情は、よく御承知の通り、特に中小企業が非常に多く、しかも従事している労働者の労働条件が悪い、賃金が低い、これを改善することが労働者にとって必要であるばかりでなく、中小企業の近代化や体質改善の上からいってもきわめて重要なものである」

 中小企業育成、産業インフラ整備、社会保障がいわば“キシノミクス”の三本の矢だった。アベノミクスが円安と金融緩和で輸出大企業を儲けさせ、一方中小企業や地方経済を疲弊させて社会の格差を広げたのとは正反対の政策である。

「安保の岸」が“社会保障制度の父”だったとは意外に思うかもしれないが、そうした指摘に岸自身が語った言葉がある。

「岸内閣の時代に社会保障や福祉の基礎がつくられたということが、私のイメージに合わないというか、私になじまないような印象を受けるらしいが、(中略)民生安定の手段として社会保障政策を志向することは、政治家として当然やるべきであって、私としては別に気負ったわけではなかった」(『岸信介回顧録』)

 大蔵官僚出身で岸内閣時代に官房副長官の補佐役を務めていた藤井裕久・元財務相が語る。

「岸さんは非常にバランス感覚に優れた政治家であり、その外交・安保政策の本質は、経済政策でもあったように思えます。安保改定のイメージから、岸さんをアメリカ寄りだと言う人がいるが、実際には国際協調主義者でした。なぜ国際協調を求めたのかというと、平和な世界は経済を良くする。国民の生活が良くなる。こういう考え方の人だったからです。

 岸内閣が1957年に防衛力を漸増させる『国防の基本方針』を策定した時、岸さんの官僚時代からの腹心だった椎名悦三郎さんが国防会議の時に『順番が大切だ』と語り、1番は国連、つまり国際協調。2番は民生の安定(国民生活)。3番が自衛隊。そして4番に日米安保を挙げた。安保改定を一番下に置いたが、岸さんは一切否定しませんでした」

 岸はその順番通りに動いた。首相になるとアジア諸国を2回歴訪して戦後賠償に取り組み、「国連中心主義」「アジアの一員としての立場の堅持」「自由主義諸国との協調」の外交三原則を打ち出して日本は国連安保理非常任理事国に初当選される。

 次に「貧乏追放」で国民年金法など社会保障法案を成立させ、最後に訪米して新安保条約を調印したのだ。

 そうやって岸が60年前に築いた日本社会のセイフティネットは、いま孫の代で壊れかかっている。それを“歴史の皮肉”というには切なすぎる。

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