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明治の国道は、一八八五(明治一八)年に制定が始まり、最終的に61号までが指定された。明治国道の特徴は、東京を起点に、各地の港湾を終点にしたものが多い点だ。国道2号は大阪港、国道3号は神戸港国道4号は長崎港、国道5号は新潟港といった案配だ。ほぼすべての国道が東京起点というのは中央集権意識の表れ、港が終点であるのは海運が重要視されていた時代背景によるものだろう。

ただし1919(大正8)年には国道の再編成が行われ、番号もすべて振りなおされた。このときには演習場や鎮守府に向かう軍事目的の国道が指定され、特徴は「特○号」の番号が付与されていること。しかし終戦間際に指定された路線は、物資不足などのため整備がほとんどなされず、名目のみに近い路線もあったそうだ。

現在使用されている国道体系がスタートしたのは1952(昭和27)年で、栄えある「国道1号」に選ばれたのは、東京の日本橋から大阪の梅田までを結ぶ道。ちなみに国道の起点は徳川家康の時代以来ずっと日本橋だが、国道1号の終点は時代によって変わっているという。

明治時代には開港地である横浜、軍国主義の高まった大正時代には伊勢神宮、戦後は太平洋ベルト地帯の諸都市を結んで大阪が、それぞれ終点となった。

道路に番号をつける際にはいろいろな方法があり、例えばアメリカの高速道路では、南北方向に走る道には奇数番号を西から東へ順に振り、東西方向に走る道には偶数番号を南から北の順で付番している。ドイツのアウトバーンも、これと類似の方式であるようだ。

ただし、これは国土が長方形に近く、計画的に道路網が作られていったからこそできる付番法。日本のように国土が細長いうえ、複雑な地形に沿って道ができていった国では、規則的な方式はとりにくいわけだ。したがって日本と条件の近いイタリアの高速道路も、やはり規則性のない付番になっているという。

では日本の国道番号はどうなっているか。まず一九五二(昭和二七)年には、1号から40号までが一級国道として指定を受けた。このとき、国道1号から12号までが国土の背骨をなす大幹線となり、13号以降としていわば肋骨のように大幹線と主要都市を結ぶ道が選ばれた。このため一級国道の多くが、県庁所在地を起終点としている。

なお、翌1953(昭和28)年には144路線が二級国道として指定されたが、この際に用いられた番号は101号から244号。つまり一級国道は1~2桁、二級国道3桁と明確な差をつけたということだ。

このときには青森から順に国道番号がつけられ、鹿児島まで南下したあとに北海道へ戻るという順序が採用された(当時の沖縄はアメリカ統治下)。そして以後、ほぼ10年ごとに約50本ずつの国道が追加されていったが、そのときは北海道から順に南下する方式で付番された。

だが、いまや国道番号は入り交じっており、もはやほとんど規則性が見えない状態になっているのだとか。

1959(昭和34)年と1963(昭和38)年には、二級国道の一部が一級に格上げされ、国道41号から57号が誕生。1972(昭和47)年の沖縄返還の際には、琉球政府道1号だった道が国道58号となり、ここで二級国道は打ち止めとなった。そのため、59号から100号までは現在も欠番のままなのだそうだ。

二級国道一級国道へ昇格したことでできた欠番は、多くの場合、のちに国道昇格した路線で埋められたという。

1993(平成5)年以降、新規の国道指定はなされていないのだそうだ。

書くに当たって意識したのは、単なる雑学集にとどまらず、「番号という切り口を通して、人類の営みに光を当てるものにしたい」ということであった。


新コーナー!外国人に手料理を食べさせてもらう【第一弾セルビア×マケドニア料理】

 琵琶湖を自転車で一周する「ビワイチ」の発着点を掲げる滋賀県守山市が検討を進めるサイクリストの休憩施設を備えた道の駅整備構想に向かい風が吹いている。長年「ビワイチ観光」をPRしてきた市が発信力向上や地域活性化を狙った肝いり事業だが、新型コロナウイルス感染の影響で、参画に意欲を示していた事業者が二の足を踏み始めたためだ。

 道の駅構想が持ち上がっているのは、野洲市境近くにある県の第2なぎさ公園(8・6ヘクタール)と、市みさき自然公園(8・3ヘクタール)。周辺には、琵琶湖マリオットホテルにある「ジャイアントストアびわ湖守山」、スーパー銭湯を備えた商業施設「ピエリ守山」があり、観光客増加などの相乗効果も見込む。

 構想では市が駐車場とトイレなどを整備して、それ以外は民間資金やノウハウを活用する「Park-PFI」を使う方針。これまで市は民間事業者のニーズなどを探るサウンディング調査を2回実施し、集まった意見や課題を今年3月に公表した。この中で、道の駅のほかにカフェ・レストランや温浴施設、グランピング施設、自転車競技場整備など多彩な案が出た。

 自転車で年間12回以上ビワイチを走破する大津市の男性会社員(60)は「愛好家の間では、北湖一周をビワイチと呼ぶので、守山市の新たな道の駅は発着点にふさわしい。出発前は補給食や必要備品を買える売店、ゴール後は疲れた体を癒やす施設があれば申し分ない」と期待する。

 しかし、コロナ禍で事業化が見通せなくなってきた。市関係者によると「当初は6月議会で市長が事業化を表明予定だったが、延期になった。コロナ禍で道の駅などやっている場合かとの声もある」と打ち明ける。担当する市地域振興課は「整備に意欲的だった民間事業者もコロナ禍で足踏み状態となっている」と話す。

 守山市が掲げるビワイチ観光の拠点「道の駅構想」や事業化の見通しなどについて宮本和宏市長に聞いた。

 -コロナ禍の中、構想はどうなったのか。
 「新型コロナが流行し、参画意思を示していた事業者が『この状況では判断できない』と言ってきた。道の駅構想は、ほとんどが民間投資による民設民営で、現段階では整備に動き出せない」

 -凍結ということか。
 「凍結でも棚上げでもない。コロナが終息し、整備へ社会経済情勢が許せる状況になれば、琵琶湖岸でグランピング施設をしたいという業者はいる。昨秋、ビワイチがナショナルサイクルルートに選定され、関心が集まる中、自転車で旅をする人の拠点は必要だ。湖岸エリアは琵琶湖大橋が近いなど景観が良く、大勢の来場が見込め、有望な場所だ」

 -草津市琵琶湖大橋の対岸にも「道の駅」はあり、多すぎないか。
 「構想がある湖岸道路沿いには、次は米原まで行かないと道の駅はない。『自転車の道の駅』を掲げており、違いや特色を出せるのではないか」

リーガロイヤルホテル京都

 京都市内の私立高校で部活を契機にした新型コロナウイルスクラスター(感染者集団)が発生したことを受け、京都新聞社の双方向型報道「読者に応える」に「どうして校名が公表されないのか」との投稿が寄せられた。これまでに市立学校では校名が発表されているケースもある。疫学調査を担っている市などに取材した。

今回のクラスターは今月2日、最初の感染者3人が発表され、現在は生徒計36人(10日現在)とその家族13人に上っている。

 感染症法では、国や都道府県、政令指定都市は情報を積極的に公表しなければならないとする一方、個人情報の保護に留意すべきとも明記されている。京都府京都市による毎日の感染状況の発表でも、個人の特定につながる情報は公表されない。

 施設名が公表される場合はあるが、いずれも施設側の自主判断や同意が基本となっている。これまで市内のクラスターでは京都産業大や市立病院(中京区)が会見を開いて明らかにしたほか、企業や福祉施設などがホームページで発表することも多い。

 学校のケースはどうか。京都市立の小中学校などで児童生徒、教職員に感染者が出た場合、学校名が公表されることもある。公立学校の場合、公表するかどうかを決めるのは設置者の行政側で、市教育委員会は「地域住民の出入りがあるため、周知の必要がある場合は公表している」(総務課)という。京都府内でも「原則、学校名は公表してない」とする教委もあり、対応が分かれる。

 一方、私立学校では、学校側の判断や同意が重視される。クラスターが起きた今回の私立高校について、私立学校を所管する府文教課は「学校名を公表することで、生徒や学校への誹謗(ひぼう)中傷などの人権侵害が起きる可能性があると、学校側から報告を受けている」とする。また、市によると、現時点では生徒らの感染経路を把握できており、公表を強く求める必要性はないという。

 私立高の感染を巡っては、サッカー部でクラスターが発生した松江市の高校名が8月に公表されると、会員制交流サイト(SNS)上などで誹謗(ひぼう)中傷が相次いだ。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は「差別とプライバシー侵害に当たる恐れがある」として問題視している。

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