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22 Do not merely listen to the word, and so deceive yourselves. Do what it says.

ja.wikisource.org

1:22
ただ御言を聞くのみにして、己を欺く者とならず、之を行ふ者となれ。

ja.wikisource.org

1:22
そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。

ja.wikipedia.org

新約聖書中の一書。

著者は冒頭部分で、自らを「主イエス・キリストのしもべであるヤコブ」と名乗る。

本書は各地に離散する(ディアスポラの)ユダヤ人にあてて書かれている。

著者が筆をとったのは、キリスト者の生活における行いの重要性について再確認してもらうためであった。

「行いによって義とされること」、このヤコブの主張は一見するとパウロが書簡の中で述べる「信仰によって義とされること」の反対の立場のように見える。この問題を解決するひとつの考え方はヤコブは「他者の前で義とされること」について語っており、パウロは「神の前で義とされること」について語っているというものである。

また、ヤコブは「行い=隣人愛」、パウロは「行い=古い律法」について語っている、というものである。

教父たちのあるものは、この問題を解決するために次のような考えを示した。それは人間に救いをもたらす信仰は愛によっていきいきとしたものとされるものであり、その愛ゆえに必ずよい行いを伴うということである。だから「信仰だけ」というのは単に頭で理解した言葉に過ぎないという見方ができる。その意味で興味深いのは使徒言行録26:20である。そこでパウロは「悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするよう」呼びかけたという。ある人はこれこそパウロヤコブのいうすべての生きた信仰が行いを伴うという考え方に賛同を示したものだとみている。

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