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十字架は、父神の印。
ダビデの星は、オオクニヌシの印。

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37 Jesus replied: “‘Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind.’

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22:29
エス答へて言ひ給ふ『なんぢら聖書をも神の能力をも知らぬ故に誤れり。

22:30
それ人よみがへりの時は、娶らず嫁がず、天に在る御使たちの如し。

22:31
死人の復活に就きては、神なんぢらに告げて、

22:32
「我はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神なり」と言ひ給へることを未だ讀まぬか。神は死にたる者の神にあらず、生ける者の神なり』

22:33
群衆これを聞きて其の教に驚けり。

22:34
パリサイ人ら、イエスのサドカイ人らを默さしめ給ひしことを聞きて相集り、

22:35
その中なる一人の教法師、イエスを試むる爲に問ふ

22:36
『師よ、律法のうち孰の誡命が大なる』

22:37
エス言ひ給ふ『「なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし」

22:38
これは大にして第一の誡命なり。

22:39
第二もまた之にひとし「おのれの如くなんぢの隣を愛すべし」

22:40
律法全體と預言者とは此の二つの誡命に據るなり』

22:41
パリサイ人らの集りたる時、イエス彼らに問ひて言ひ給ふ

22:42
『なんぢらはキリストに就きて如何に思ふか、誰の子なるか』かれら言ふ『ダビデの子なり』

22:43
エス言ひ給ふ『さらばダビデ御靈に感じて何故かれを主と稱ふるか。曰く

22:44
「主わが主に言ひ給ふ、
われ汝の敵を汝の足の下に置くまでは、
我が右に坐せよ」

22:45
斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや』

22:46
誰も一言だに答ふること能はず、その日より敢へて復イエスに問ふ者なかりき。

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22:29
エスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。

22:30
復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。

22:31
また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。

22:32
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。

22:33
群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。

22:34
さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。

22:35
そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、

22:36
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。

22:37
エスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

22:38
これがいちばん大切な、第一のいましめである。

22:39
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

22:40
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

22:41
パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった、

22:42
「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。

22:43
エスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。

22:44
すなわち

『主はわが主に仰せになった、
あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、
わたしの右に座していなさい』。

22:45
このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。

22:46
エスにひと言でも答えうる者は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。

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新約聖書におさめられた四つの福音書の一つである。

伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。

本書の目的は、イエスこそが「モーセ預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。『マタイによる福音書』には旧約聖書ギリシア語訳・七十人訳)の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている。この福音書の狙いは「私は廃止するためでなく、完成するために来た」という言葉にもっともよく表現されている。

『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、第1章1〜17節の系図によれば、ユダヤ民族の父と呼ばれているアブラハムの末裔であり、またイスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。このようなイエス理解から、ユダヤキリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。

また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である。

マタイは、イエスが旧約を廃止しに来たのではなく、その目的に導き、成就させに来たことを示そうと努めている(参照:マタイ5:17 〜 18)。

さらにマタイは、イエスの教えだけでなく、イエスの生涯そのものが旧約の成就であることを強調している。(参照):「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ1:22 他、数箇所ある)

#パターナリズム#家父長制#父権主義#家族主義#温情主義

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1648年に締結された三十年戦争講和条約で、ミュンスター条約とオスナブリュック条約の総称である。ラテン語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。この秩序をヴェストファーレン体制ともいう。

この条約の成立によって、教皇・皇帝といった普遍的、超国家的な権力がヨーロッパを単一のものとして統べる試みは事実上断念された。これ以降、対等な主権を有する諸国家が、外国の存在を前提として勢力均衡の中で国益をめぐり合従連衡を繰り返す国際秩序が形成された。この条約によって規定された国際秩序はヴェストファーレン体制とも称される。

三十年戦争カトリック派諸国、とりわけハプスブルク家の敗北によって終わった。この条約で新教徒(特にカルヴァン派)の権利が認められ、帝国議会や裁判所におけるカトリックプロテスタントの同権が定められたこと、またカトリックの皇帝が紛争を調停する立場にあるわけではないことが確定したことで、ドイツでは紛争を平和的に解決する道が開かれた。このため最後の宗教戦争と言われる。

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第一論はロバート・フィルマーによる「国王の絶対的支配権は人類の祖アダムの子どもに対する父権に由来する」という王権神授説に対する反論である。

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バートランド・ラッセルは、フィルマーが、その「父権国家論」において、父親の子に対する権威から出発して、国王たちの権威を根拠づけたことに関連して、日本の神権天皇制について、次のように、書いている。

西国立志編 (講談社学術文庫)

西国立志編 (講談社学術文庫)

#米大統領

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