中村吉右衛門さんへ 義理の息子・尾上菊之助さんが思い語る #nhk_news https://t.co/ds8ZRa01v1
— NHKニュース (@nhk_news) 2021年12月2日
歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんが亡くなったことを受けて、義理の息子にあたる尾上菊之助さんが都内で取材に応じ、「全身全霊で芝居に打ち込む芸の模範のような方であり、尊敬する優しい父でした」と、吉右衛門さんをしのびました。
中村吉右衛門さんは、存在感のある重厚な演技で歌舞伎界を代表する立役として長年にわたって活躍し、「鬼平犯科帳」などテレビの時代劇でも親しまれました。
吉右衛門さんが亡くなったことを受けて、義理の息子で数々の舞台で共演してきた尾上菊之助さんが2日、都内で取材に応じました。
この中で菊之助さんは、「全身全霊で芝居に打ち込み、先人たちが守った血と汗と涙の結晶をさらによいものにして後世に伝え、現代の歌舞伎を進化させてくれた。どんなにつらくても出し惜しみをしない、本当に芸の模範だと思います」と述べました。
そのうえで、「ことし3月に倒れる直前、自分もつらかったはずなのに、当時、腕を骨折していた私のことを心配してくれた。尊敬するとても優しい父でした」と、涙ながらに振り返りました。
そして、吉右衛門さんの闘病中の様子について、「ずっと物思いにふけっているようでした。本人ももっと舞台に立ちたかっただろうし、私も教えをこいたいと思っていましたが、かないませんでした」と明かしたうえで、「この場を借りて、父の芝居を愛してくださった方々、本当にありがとうございました。中村吉右衛門のことを忘れないでください」と、深く頭を下げました。
亡くなった中村吉右衛門さんは1944年に生まれました。
父の初代松本白鸚は、歌舞伎のみならず演劇の世界でも活躍した名優です。1969年から放送された池波正太郎原作のテレビ時代劇、「鬼平犯科帳」でも主役を務めました。
「鬼平犯科帳」については、吉右衛門さんも1989年から長谷川平蔵=「鬼平」を演じ厳しくも温かく、深みのある演技が話題となりました。
吉右衛門さんは、母方の祖父で戦後の歌舞伎界をけん引した役者の1人初代吉右衛門の養子となり、22歳で二代目を襲名しました。
NHKの大河ドラマ「黄金の日々」で主役を務めたほか、ミュージカル「ラ・マンチャの男」では、50年余りにわたって舞台に上がり続け、観客を魅了しています。
吉右衛門さんには4人の娘がいて、四女は尾上菊五郎さんの長男、菊之助さんと結婚しました。
菊之助さんの長男が2013年に生まれた丑之助さんです。
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中村吉右衛門さんの死去を受けて、義理の息子の尾上菊之助さんが都内で取材に応じました。詳しい内容です。
この中で菊之助さんは、まず「コロナ禍ということもあり、親族葬で送らせていたいたことをご報告します」と切り出しました。
そして、最後に吉右衛門さんに会ったときのことについて「亡くなる前日、27日に私はお会いしました。3月28日に倒れて、8か月間本当に頑張られたと思います。岳父(妻の父)も、もっと舞台に立ちたかったでしょうし、これから、もっともっと教えを請いたかったのですが、それも、かないませんでした。まず、岳父が申し上げたいと思っているのは、きっと、岳父の芝居を愛してくださったファンの皆様に、お礼を申し上げることだと思いますので、私からも改めて皆様に御礼を申し上げます。そして8か月お世話になりました医療従事者の皆様、本当にありがとうございました」と深く頭を下げました。
菊之助さんは、闘病中の吉右衛門さんの様子について、次のように明かしました。
「ずっと何かを考えているような感じがしました。倒れたのが突然だったので、頑張って復帰したいという気持ちが強かったのだと思います。8か月間の闘病でしたが、頑張っていました。その間、看病を続けてきた母のことが気がかりだったのではないでしょうか。今までずっと、岳父は芝居1本で来ましたので、母との時間はそんなに多くは取れなかったでしょうから、8か月間は母との時間をゆっくり過ごせたと思っています」
「岳父は、初代吉右衛門の芸を、芝居を守って、全身全霊をかけて芝居に打ち込みました。そして先人たちの教えを守って、血と汗と涙の結晶を、さらによいものにして後世に伝え、現代の歌舞伎を進化させてくれました。その思いを胸に込めて、教えを守って後世に伝えられるように、われわれも研さんしていきたいと思っています」
菊之助さんによりますと、吉右衛門さんは孫の丑之助さんをはじめ、3人の孫にとっては優しい祖父だったということです。
「ふだんは強面で、威厳があって近寄れない岳父ですけれども、孫のことになると、やはり、かわいがってくれまして。(吉右衛門さんは)くまのプーさんが大好きだったんです。休みになるとディズニーランドに連れて行ってくれて、プーさんのアトラクションに孫たちと乗って、とても楽しそうにしてらっしゃって。丑之助も『もっと“じいたん”と芝居に出たい』と言っていました」。
菊之助さんは、吉右衛門さんが倒れる直前のエピソードについても話しました。
「他人にも厳しいんですけれど、とにかく自分にも厳しいかたで、本当に芝居以外は律して生活をしていました。私がことしの3月、明智光秀を教えていただいて、そのあと、千秋楽を迎えて『よくやってくれた』と。そのときは、ご自分が倒れる2日前だったので、きっとつらかったと思うんですよ。でも、自分のことより、ひじを骨折して手術した私のことを心配してくれて『あと、千秋楽まで2日だから頑張るぞ』って、強いことばをかけてくれました。尊敬する、とても優しい父でした」このとき、大粒の涙が菊之助さんのほおを伝いました。
丑之助さんも、吉右衛門さんの死を伝えると、菊之助さんに抱きつき、心にぽっかりと穴があいたような様子だったということです。
そして、吉右衛門さんという役者の存在について、「本当に大きかった。どんなにつらくても、どんなに厳しい状況でも、全力で芝居をする。出し惜しみをしない。本当に芸の模範だと思います。威厳のある父でしたが、優しいことば、丁寧な教えを、たくさんいただきました」と振り返りました。
そのうえで、吉右衛門さんの思いを代弁して、次のように呼びかけました。
「突然に倒れてしまったので、ファンの皆さんにお礼を申し上げられないままだったのが、岳父も大変心残りだったと思います。この場を借りて、岳父の芝居を愛して下さった皆様、本当にありがとうございました。岳父のこと、中村吉右衛門のことを忘れないでください」。
吉右衛門さんが亡くなったのは、孫の丑之助さんの誕生日と同じ11月28日でした。
菊之助さんは、吉右衛門さんの死去について、その場では伝えられず、2日後に伝えたということです。
そして「丑之助の誕生日の日に“じいたん”は亡くなったから、毎年“じいたん”に感謝してお祈りしよう。そして誕生日を迎えようねと約束しました」と話しました。
吉右衛門さんのひつぎには、家族で書いた手紙、舞台の写真、そして、丑之助さんが描いた絵などを入れたということです。
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