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立往生が起きているのは、新名神高速道路の下り線の三重県菰野町菰野インターチェンジと、滋賀県甲賀市甲賀土山インターチェンジの間の区間です。

中日本高速道路によりますと、この区間は28キロありますが、菰野インターチェンジの周辺から断続的に複数箇所で動けなくなった多くの車が連なっているということです。

この区間では、24日からの大雪で断続的に渋滞が起き、中日本高速道路は25日午前3時50分にこれよりも広い範囲の区間で通行止めを開始しました。

中日本高速道路は、この時点ですでに甲賀土山インターチェンジの前後30キロほどの区間で渋滞となっていたことから、多くの車が動けない状態が少なくとも10数時間は続いているとみられるとしています。

中日本高速道路は、菰野インターチェンジ甲賀土山インターチェンジ、それに、この間にあるパーキングエリアに隣接した鈴鹿スマートインターチェンジの、3つの出口から少しずつ車を外に出しているということです。

しかし、多くの車が動けない影響で、現場周辺の三重県亀山市菰野町の基地に配備している除雪車が高速道路の本線に入ることができず、本格的な除雪作業に取りかかれていない状況だということです。

中日本高速道路は、3つの出口に向けて止まっている車の周りの雪をスコップでかき出すなど手作業で除雪していて、今後、ほかの基地からも除雪車を派遣して除雪作業を急ぐことにしていますが、立往生の解消のめどはたっていないということです。

立往生が起きている新名神高速道路三重県四日市市水沢町付近では、動かなくなった車両から降りて鈴鹿パーキングエリアの方面に歩いて向かうとみられる複数のドライバーたちが確認できます。

中日本高速道路は、こうした状況を把握しているとした上で、「お客さまの体調を最優先に、必要であれば休憩やトイレのためにパーキングエリアなどに向かってもらうことは問題ない。これから暗くなるので足元に十分注意した上で移動していただき、滞留が解消した場合のために長時間自分の車から離れることは避けてほしい」と呼びかけています。

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琵琶湖大橋有料道路ライブカメラ静止画像

奈良市にある国内最大の円形の古墳で、精緻な文様がある盾のような形の大型の鏡や、波打つような形をした長大な剣が見つかりました。専門家は、当時の技術力の高さや古墳の埋葬の在り方を考えるうえで貴重な資料になるとしています。

鏡や剣が見つかったのは、4世紀後半に造られ、丸い形の「円墳」としては国内最大の奈良市の富雄丸山古墳です。

奈良市教育委員会が去年10月から、古墳の端に突き出た部分にある埋葬施設を発掘したところ、ひつぎを覆っていた粘土の中から青銅の鏡と鉄の剣が見つかりました。

このうち、鏡は長さが60センチ余り、幅が30センチほどで、上部が丸みを帯びた盾のような形をしています。

表の面は、光を反射するように磨かれていて、裏面には、神や獣の像が円形に配置されて描かれているほか、のこぎりの歯のような線など、精緻な文様があしらわれていました。

また、中央部には、ひもを通すような突起もついていました。

盾のような形をした鏡が見つかったのは、今回が初めてだということです。

また、古墳の同じ場所からは、波打つような形の「蛇行剣」と呼ばれる鉄製の剣も出土しました。

剣の長さは2メートル30センチ余りで、国内で見つかる同じタイプの剣の中で最も古く、東アジアで見つかっている同じ時代の剣の中で最長のものになるということです。

今回の発見について、古墳時代に詳しい大阪大学福永伸哉教授は「特に鏡は、当時の最高技術を持った工房で作られたと考えられ、古墳時代前半期の金属工芸の中で最高傑作といえる。盾の防御性と鏡の神秘性を合体させた神聖なものと解釈することができ、邪悪なものを寄せつけない力がある。剣とともに、それぞれの力を最大限発揮するよう、なきがらの副葬品として埋められたのではないか」と話しています。

今回見つかった鏡は盾のような形をしていますが、なぜ盾ではなく鏡とされたのでしょうか。

調査を行った奈良市教育委員会橿原考古学研究所によりますと、鏡の表側の面について、顕微鏡で細かく確認したところ、光が反射できるように磨かれていたうえ、縁から中央に向かって緩やかに膨らんでいる、凸面鏡の状態になっていたということです。

また、裏の面は中央部にひもなどを通す※「紐」(ちゅう)と呼ばれる突起がついているほか、同じ時代の鏡に特徴的な、神や獣などの文様が円を描くようにあしらわれていました。

さらに、板の成分は、銅にスズや鉛を混ぜた青銅だったということです。
こうした特徴は、古墳から出土する同じ時代の鏡にも見られることから、盾のような形の板は、鏡として作られたと判断したということです。

専門家によりますと、古墳から見つかる盾や鏡は「なきがら」を邪悪なものから守る意味を込めて埋めていたと考えられ、盾と鏡の2つの要素をそろえたことで、より強い効果を期待したと考えることもできるということです。

古墳に詳しい兵庫県立考古学博物館の和田晴吾館長は「当時の埋葬の在り方の非常に象徴的な形といえる。初めての形なので驚いたが、出るべくして出たものだと思う」と話しています。

※「紐」の偏は「糸」ではなく「金」。

今回見つかった「蛇行剣」は、波打つような形が特徴の鉄の剣で、国内では、これまでに80例余り見つかっていますが、このタイプの中で最も古く、東アジアで見つかっている同じ時代の剣の中で最も長いものになるということです。

古墳時代の武器に詳しい奈良大学の豊島直博教授は「あれだけ長い剣を作ろうとすると、相当大きな炉や人と道具をそろえないといけない。素材もたくさんの鉄が必要になるので、高度な技術と製作体制が必要になる。当時の鍛冶技術の最高傑作といえる」と話しています。

そのうえで豊島教授は、剣の長さや刃の部分が波打っている特殊なデザインから、儀礼的な要素が強いのではと考えています。

豊島教授は「剣の形をしているので、武器とも考えられるが、実際に戦争に使うものとは考えにくい。祭りの道具とも考えられ、古墳に埋葬された剣の所有者は、軍事と祭祀の双方の役割を担った人物だったのではないか」と話しています。

今回、調査が行われた富雄丸山古墳は、奈良市の西部にある大型の円墳、丸い形をした古墳で、古墳時代前期の4世紀後半に造られたとされています。

平成29年に、奈良市がレーザーによる詳細な測量を行った結果、直径が110メートル前後で、国内最大の円墳とわかりました。

古墳は3段構造で、表面は石に覆われ、盛り土を取り囲むように埴輪が置かれていたと考えられています。

埋葬施設は古墳の頂上にあるほか、北東の端にあり、方形に突き出た「造り出し」と呼ばれる部分にも設けられていました。

今回の鏡と剣は、この「造り出し」に納めた木製のひつぎを覆う粘土の中から発見されました。

盾のような形の鏡と長大な剣とともに古墳に葬られたのはいったいどんな人物だったのでしょうか。

古墳時代に詳しい大阪大学福永伸哉教授は、今回、調査が行われた富雄丸山古墳の「あるじ」は、ヤマト王権を支えた有力な豪族で、鏡や剣とともに埋葬されたのは、その主に仕えた腹心のような人物だったのではないかと見ています。

今回、調査が行われた富雄丸山古墳は、4世紀後半に造られたとされ、この時代は、当初、奈良盆地の東南部にあったヤマト王権の王墓が、古墳がある盆地の北部に移動してきたと考えられることから、福永教授は、この古墳の「あるじ」は、ヤマト王権の中枢にいて王権を支える主要閣僚のような人物だったのではないかと見ています。

ただ、今回の鏡と剣は、古墳の頂上部にある埋葬施設ではなく、盛り土のすそにある「造り出し」と呼ばれる突き出た部分で見つかったことから、福永教授は、造り出しに葬られたのは、古墳のあるじを支えた腹心のような人物で、今回の鏡と剣は、あるじから分け与えられたものではないかと見ています。

一方、古墳時代の武器や武具に詳しい奈良大学の豊島直博教授は、今回見つかった長大な剣と盾形の鏡のそれぞれに、いくさの道具と祭りの道具の両方の役割があるとしたうえで、古墳に葬られたのは、軍事と祭祀の双方をつかさどった人物ではないかと見ています。

今回見つかった鏡と剣については、このあと土やサビを落とすクリーニングや、保存のための処置を行うことになっていますが、いつ公開できるかは、まだわからないということです。

一方、古墳の発掘現場については今月28日と29日に一般に公開されます。

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