「陛下専用のベッドに寝そべり…」「“玉座”に座って記念撮影」 皇宮警察OBが明かす衝撃の不祥事 https://t.co/BuURwK9gJe#デイリー新潮 @dailyshincho
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2023年2月1日
「京都護衛署の人から『せっかくだから高御座で写真を撮っていったらどうですか』と勧められたのです。玉座の前ではなく、座ってという意味だったので驚きましたが、その人は『東京から来た人はよく撮っていますよ。我々(京都の護衛官)もやってます』と言う。そこで誘われるまま、互いに高御座に座って携帯で写真を撮り合いました。紫宸殿は庭に面しているのですが、検索中の護衛官や宮内庁の職員からも、特に注意はありませんでした」(同)
「ある時、御用邸の管理事務所の所長さん(宮内庁職員)が、派出所の私の上司に気を利かせて、普段は入れない場所を特別に案内してくれました。私もご一緒し、陛下専用の御寝室まで見せてくれたのです。まさしくキングサイズのベッドでしたが、ちょうどその所長さんが席を外した隙に、何を思ったか上司がそのベッドにバーンと仰向けになり『撮ってくれ』と言うので、言われるまま『撮りますよ』と、携帯で撮ってしまいました」
#天皇家
1394年2月1日、一休宗純が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2023年1月31日
一休さんの愛称で知られる幼少期の虎退治などの逸話は創作といわれていますが、破天荒な人物で、後にとんち話を生むことに繋がりました。
飲酒、肉食、女は当たり前で、男色も好み、大きな木刀を腰に差して街を歩くなどだいぶ人間臭い人物だったようです。 pic.twitter.com/GDXzoYwaIA
1911年2月1日、徳富蘆花が一高弁論部大会で「謀反論」を講演しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2023年2月1日
前年の大逆事件の際、幸徳秋水らの死刑を阻止するために、首相の桂太郎や兄の徳富蘇峰に働きかけるも虚しく、処刑が実行されてしまいました。
「謀反論」は秋水らを弁護する講演で、森戸辰男らが蘆花に依頼して実現しました。 pic.twitter.com/uXxkx0LGBp
1922年2月1日、山縣有朋が亡くなりました。
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山縣は国民の人気が低く、1ヶ月前に没した大隈重信と比べ、山縣の葬儀は閑散としていたといいます。
山縣の死により、元老は軍に対して影響力を持たない松方正義と西園寺公望のみとなり、政府と軍を調停する機能を大きく失います。https://t.co/ubyYoznY7v pic.twitter.com/gCrH9pd1tK
1948年2月1日、岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜が、大磯に混血児救済施設「エリザベス・サンダースホーム」を開設しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2023年1月31日
敗戦後、日本女性とアメリカ軍兵士たちとの間に生まれ両親に捨てられた、いわゆる「G.Iベビー孤児」たち約2000人を引き取り、保護、育成に努めました。 pic.twitter.com/csH1xfyKWm
1950年2月1日、徳川慶喜の曾孫、徳川慶朝が生まれました。
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写真家として活動する傍ら、明治時代に慶喜が撮影した写真を発見し後世に慶喜の写真を伝えました。
子はいましたが、離婚した元妻が引き取ったため徳川姓ではなく、2017年に慶朝が亡くなり徳川慶喜家は断絶しました。https://t.co/7VpJYtDgTL