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 僕が初めてお金を借りたのは19歳のときでした。当時、僕は故郷の福島県を離れ、東京で下宿しながら大学受験の予備校に通っていたんです。ところが、いざ出願というときになって、親が送ってくれた受験料16万円を封筒ごと友人に盗まれてしまいました。

 親に頼んでもう一度受験料を送ってもらうこともできたのでしょうが、よく考えてみたら自分は大学に行って何かしたいことがあったわけでもない。盗んだ友人も金が必要な事情があったんだろうと考え直し、大学受験はやめにして、自分で働いて生計を立てようと思い立ったのです。

 親に「受験料を盗まれた」と言うわけにもいかず、僕はその頃住んでいた下宿を出ることにしました。当時の東京のアパートは月の家賃が4万円程度。敷金や礼金も含めれば、引越しには約30万円が必要です。浪人生にそんなお金があるはずもなく、学生ローンの門をたたくことになりました。

百科事典や地球儀を飛び込みで販売する営業職

 その後はビールやコーラの空き瓶回収に始まり、町会名簿や地図の広告代理店、個人向けの輸入販売などさまざまな事業をやりました。

 僕が芸能の仕事を始めたのも、実は懇意にしていた芸能プロダクションの社長に出資をお願いされたのがきっかけ。この社長には、90年代の後半、錦野旦さんや松方弘樹さんに通販のCMに出演してもらった際にお世話になっていました。

 そんな社長から、あるとき「経営に関わってほしい」と頼まれ、毎月150万円を振り込んでいたんです。でも、いつまでたっても売り上げは立たない。そこで、「もうお金は出せない」と連絡すると「かわりに石田さんが社長になってプロダクションをやってくれ」と言う。そうしてマネジメントすることになったのが「狩人」の二人でした。

 興行の世界にはさまざまな不文律がありますが、新参者の僕はそんなしきたりは知りません。狩人のギャラは、当初1ステージがだいたい80万円程度でした。それを2ステージ100万円のディスカウント価格で売り出したのです。この業界では事前にギャラを明確に伝えないのも特徴でしたが、僕は徹底して明朗会計にしました。他の興行師の「勝手なことをされると困る」という声も聞こえてきましたが、これが功を奏し、初年度から1億2千万円くらいの売り上げを達成することができました。

#「夢グループ」石田重廣社長

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