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おにぎり2個(鮭と梅)

「ミルクホール」であんドーナツと珈琲を買ってきて

夕食は鮭と切干大根のバターコンソメ煮、茄子の田楽、キノコと白菜の味噌汁、ごはん。

食後にアイスクリーム。「チーアン」特製のジンジャーシロップをかけて。

キンドル・スクライブを使うようになってから、読書の習慣がよみがえった。一時、視覚から聴覚へ、アマゾン・オーディブルに活路を見出そうとしたこともあるが、それはうまくいなかった。第一に、朗読のスピードが一定である(倍速にしようが一定であることに変わりはない)。黙読しているときは、意識的にあるいは無意識に、緩急をつけて読んでいたのだが、それができないのがもどかしかった。第二に、朗読作品が限定されている。電子書籍は新しく出る本の多くが電子化されており、「読めないのか」ということが少ない。

わかりやすいのは、超・高齢者の意識がない状態のときです。この場合は、そのまま静かに見守ってあげるのがベストです。かかりつけ医または、在宅医療の主治医がいれば、連絡して看取りに来てもらいましょう。間に合わなくても大丈夫です。逆に、間に合っても医者にできることはありませんし、命が終わってからでも、医者が死亡確認するまでは、法的には死んでいないことになりますから、死亡診断書も書いてもらえます。

この場合、救急車を呼んでしまうと、悲惨なことになります。超・高齢者が死にしているとき、救急隊員は「どうして救急車なんか呼ぶんだ。このまま逝かせてやったほうがいいのに」と思いつつも、当然、口には出せず、型通り人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたりしながら、病院に運ばざるを得ません。

運び込まれた病院の医者も、「どうして病院になんか連れてくるんだ。そのまま逝かせてあげろよ」と思いつつも、やはり口には出せず、型通りに蘇生処置をし、運悪く心拍が再開などしたら、気管チューブを挿入し、人工呼吸器につなぎ、肺のX線検査をし、点滴をし、導尿カテーテルを入れと、せざるを得なくなります。

長らく在宅医療をやっていると、死を受け入れて自宅に帰ってきた人は、おしなべてある種の落ち着きがあるように思います。苦痛は可能なかぎり薬で抑えますが、病気を治すとか、命を延ばすための治療や検査はしません。そのため、治療の効果や検査の結果を気にすることもないし、無用の副作用に苦しむこともありません。自宅で安寧な状態が続くと、病院に行く必要がないこともわかりますし、住み慣れた家で最後の時間をすごすことの貴重さを実感することもできます。それはやはり迫りくる死を拒否せず、現実として受け入れているからでしょう。

すなわち、「メメント・モリ(死を想え)」による心の平安です。

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