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2023年の家康は「平和をめざす家康」でいった。

『どうする家康』で珍しかったのはそれに最初の妻をからめたところである。

彼女との約定を大切にすることによって、家康は天下を平定した。と、2023年家康はそういうことになっていた。

家康の正室・瀬名は築山殿とも呼ばれ、武田方と内通した疑いによって殺されている。歴史上は(これまでの大河でも)だいたいそう解釈されている。

2023年でも彼女は武田方と連絡は取り合っていた。

でもそれは内通でもないし、織田への反攻のためでもない。

徳川と武田を中心として、上杉、北条、伊達らが戦わず仲良くなって慈愛の国の連盟を作るための謀略であったのだ。東日本「慈愛による連合」を作ろうと、瀬名が動いていた。

彼女は張儀蘇秦に比するべき歴史的な策謀家であったのだ。

『どうする家康』の24話でその説明を聞いたとき、衝撃的でちょっと感動した。

同時に腰がくだけそうでもあった。まるで、大人に誉めてもらうためだけに書かれた中学生の作文を聞かされているようだ。

歴史を使って「大喜利」をやっているとも見える。大喜利のお題に文句を言ったってしかたがない。笑って見守るしかない。

慈愛の同盟はうまくいかず、瀬名は殺される。ただ家康は、その亡き妻との約束を守るため、戦なき世を実現させようと邁進する。

家臣団も一体となってそれを支えていた。

それが2023年『どうする家康』であった。

「以後よく広まるキリスト教」は1549年、ザビエル一行の決死の上陸以後、国内での信者数を増やしていった。大名でも、大友宗麟高山右近小西行長など著名な大名が洗礼を受けていた。『どうする家康』でも十字架の陣羽織を羽織った大名(行長)も登場していた。

べつだんキリスト教徒が日本国内で増えてもいいじゃないか、というのは、宗教信仰熱が科学信仰熱に取って代わった現代だからこその感想で、こと16世紀においては、そんなのんきなことを言っていられない。

ルターによる宗教改革があり、新教(プロテスタント)の勢力に押され始めて、旧教(カソリック)も必死だった。波頭を越えて世界の東の果て・日本までやってきた。彼らも命懸けである。

最初はものめずらしさもあって、何となく受け入れていた支配者たちも、やがて、危機感を抱く。

三英傑でいえば、信長は中世秩序の破壊者として、キリスト教はどんどん受け入れていた。中世のしきたりを破る道具として有効、と考えていたところがある。

秀吉も最初は信長の方針を受け継いでいたが、全国統一して国全体の支配者になる道筋がついたころ、バテレン追放令を出す。1587年、キリスト教禁止の始まりである。

すでに2年前に関白になっていた秀吉は、「日本」のおおもとである天皇家と密接に関わっており(なにしろ関白だから)、日本国に天皇家のあるかぎり、キリスト教の教えが国の中心にきてもらっては困る、という行動に出る。

もともと宣教師たちは本気である。

ローマ教皇のための土地と人民を獲得しようとして、日本国に乗り込んでいる。

教皇、というのは神の代理人であり、つまり「神のもの」として日本の土地や人民を捧げようとしていたのだ。

当時の資料を読んでいると、その実情がよくわかる。

秀吉から家康、さらに秀忠、家光の時代にかけて、徐々に鎖国キリスト教信者の排除が完成されていく。

キリスト教の力があまりに強く、徹底した暴力集団であることを察知した彼らは、とにかく日本国内から「キリスト教」というものを完全に除外することにした。

日本国内では徹底してキリスト教を認めない。

日本の秩序を破壊するものとして、認めなかった。

国内に住む日本人であるかぎり、キリスト教信者であるわけがない。それを徹底した。

信者であることが露顕すれば死刑になるのが17世紀から19世紀半ばすぎにかけての日本の状況である。

それが鎖国である。

17世紀から19世紀の鎖国によって、日本国は多くのものを守ることができた。

もちろん失ったものもあるが、それは、いっとき盛んに言われたことなので(和辻哲郎の『鎖国 日本の悲劇』とか)いまさら言うまでもないだろう。

『どうする家康』を見ながら、瀬名(有村架純)の強いおもいが、やがて国を鎖すことにつながり、それが長き平和へとつながるのか、と感慨深かった。

日本はキリスト教信者がほとんどいない国なのに(信者数は国民のだいたい1%)、なぜクリスマスを祝うのか、というのは明治以来150年、常に問いかけられている。

先だっての高島屋ケーキ崩れのイギリスでの報道でも触れられていた。

それは、信者がほとんどいない国であるからこそ、ということになる。

キリスト教そのものを国を挙げて信じていないので(秀吉―家康ラインのおかげである)でもキリスト教国と喧嘩するのも面倒だから、表面上仲良くするためにはクリスマスを祝うあたりでの手打ちがいいんじゃないか、ということだろう。誰一人として言語化していないが、国民の総意はそのあたりだとおもわれる。

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