銀行に観劇のチケット代の振り込みに行く。私はペイペイも、ネットバンキングも使っていないので、ATMのある場所まで行かないとならないのだ。ついでに「喜多方ラーメン」で昼食をとることにした。
夕食は焼き肉生姜焼き、玉子豆腐、ジャガイモとワカメの味噌汁、ごはん。
タモリも愛した早稲田「メルシー」が突然閉店 ラーメンは400円から500円に…2代目店主が語っていた苦境https://t.co/X5JPa3ky7X
— デイリー新潮 (@dailyshincho) July 1, 2024
2代目店主の小林一浩さんは「デイリー新潮」のインタビューに対し、「少しでも長く続けたいとは思っているが」「あと5~6年かな」と現状を語っていた。#デイリー新潮
(2022年9月4日「デイリー新潮」に掲載された記事の再録。
――早稲田の学生の胃袋を満たしてきた老舗飲食店は様々あるが、最近はたたむ店も少なくない。蕎麦とカツ丼の三朝庵、さんやラーメンの西北亭、洋食のエルム、天ぷらのいもや……。
小林:ご主人が体を壊したり、後継者がいなくてやめざるを得なくなったところが多いようです。実はうちも、ネット上で閉店の噂が広まったことがあるんですよ。色々な古い店が閉店しているという記事がきっかけでした。最後にメルシーは頑張ってる、と書いてあったんですが、なぜかメルシーも閉店という話になったらしい。早大OBのお客さんが、わざわざ来てくれたり、電話してきたりと心配してもらいました。
――メルシーに通ったOB(中退含む)には超名人も少なくない。
小林:タモリさんや堺雅人さん、吉田照美さん、橋下徹元大阪府知事……。橋下さんは府知事時代にも来てくれました。何でも、学生時代はうちのすぐ裏に住んでいたそうです。――吉永小百合が来たとの噂もある。
小林:当時は、文学部のある南門の近くに店があったからでしょう。伝説だと思いますよ。僕はお目にかかったことがありません。
小林:ラーメンを出すようになってからは64年ですが、実は戦前に先代の父が喫茶店をやっていて、その店名が「メルシー」でした。最初は“サンキュー”にしようとしたらしいんですが、学生からメルシーのほうがお洒落と言われて、決めたそうです。
――戦後はハンバーガー店になったという。小林:父が進駐軍で働いていたこともあり、そこで学んだハンガーガーを売ろうとしたんです。しかし、当時はまだ学生さんも知らなかったそうです。
――時代を先取りしすぎたようだ。
小林:それでラーメンや丼もの、サンドウィッチ、かき氷などを扱う食堂になったんです。
――現在の早稲田中学・高校前に移転するにあたり、メニューを厳選して現在の形になった。
小林:父は80過ぎまで店には出ていましたけど、私はあと5~6年てところかな。
――まだまだ頑張って欲しい。小林:腕やら腰やら、体は痛いとところばかりですからね。従業員だって高齢化していますし、後継者もいません。もちろん、少しでも長く続けたいとは思っていますけど、何より材料費も今後はどうなるか分からないからね。
#食事#おやつ