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銀行に観劇のチケット代の振り込みに行く。私はペイペイも、ネットバンキングも使っていないので、ATMのある場所まで行かないとならないのだ。ついでに「喜多方ラーメン」で昼食をとることにした。

夕食は焼き肉生姜焼き、玉子豆腐、ジャガイモとワカメの味噌汁、ごはん。

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(2022年9月4日「デイリー新潮」に掲載された記事の再録。

――早稲田の学生の胃袋を満たしてきた老舗飲食店は様々あるが、最近はたたむ店も少なくない。蕎麦とカツ丼の三朝庵、さんやラーメンの西北亭、洋食のエルム、天ぷらのいもや……。

小林:ご主人が体を壊したり、後継者がいなくてやめざるを得なくなったところが多いようです。実はうちも、ネット上で閉店の噂が広まったことがあるんですよ。色々な古い店が閉店しているという記事がきっかけでした。最後にメルシーは頑張ってる、と書いてあったんですが、なぜかメルシーも閉店という話になったらしい。早大OBのお客さんが、わざわざ来てくれたり、電話してきたりと心配してもらいました。

――メルシーに通ったOB(中退含む)には超名人も少なくない。
小林:タモリさんや堺雅人さん、吉田照美さん、橋下徹大阪府知事……。橋下さんは府知事時代にも来てくれました。何でも、学生時代はうちのすぐ裏に住んでいたそうです。

――吉永小百合が来たとの噂もある。

小林:当時は、文学部のある南門の近くに店があったからでしょう。伝説だと思いますよ。僕はお目にかかったことがありません。

小林:ラーメンを出すようになってからは64年ですが、実は戦前に先代の父が喫茶店をやっていて、その店名が「メルシー」でした。最初は“サンキュー”にしようとしたらしいんですが、学生からメルシーのほうがお洒落と言われて、決めたそうです。
――戦後はハンバーガー店になったという。

小林:父が進駐軍で働いていたこともあり、そこで学んだハンガーガーを売ろうとしたんです。しかし、当時はまだ学生さんも知らなかったそうです。

――時代を先取りしすぎたようだ。

小林:それでラーメンや丼もの、サンドウィッチ、かき氷などを扱う食堂になったんです。

――現在の早稲田中学・高校前に移転するにあたり、メニューを厳選して現在の形になった。

小林:父は80過ぎまで店には出ていましたけど、私はあと5~6年てところかな。
――まだまだ頑張って欲しい。

小林:腕やら腰やら、体は痛いとところばかりですからね。従業員だって高齢化していますし、後継者もいません。もちろん、少しでも長く続けたいとは思っていますけど、何より材料費も今後はどうなるか分からないからね。

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