#天皇家
980年7月15日(天元3年6月1日)一条天皇が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) July 15, 2024
藤原道長、伊周らの権力争いの中で、常に大局的な判断を下し「賢王」と称えられました。
定子と彰子という2人の女性を同時に后とする一帝二后の先例を作るなど、藤原氏の影響下にはありましたが、天皇の責務を第一に考える名君でした。#光る君へ pic.twitter.com/e731buqUZD
鎌倉時代の歴史書に記述の星を“超新星と特定” 東大など発表https://t.co/TvDCZ5DSuA #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) July 14, 2024
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に記述がある星について、東京大学などは理論的な解析をもとにカシオペヤ座付近の方向にあり、超新星と呼ばれる爆発を起こした天体だと特定したと発表しました。
鎌倉幕府についてつづられた歴史書「吾妻鏡」には、旧暦の1181年6月25日に「客星」と呼ばれる星が突然現れ、「土星のような明るさに見えた」とする記述があります。
東京大学の大学院生、黄天鋭さんなどの研究チームは、この星は超新星と呼ばれる爆発によるものではないかと推測する一方で「土星のような明るさ」とする記述が満月ほどに明るく見えることもある超新星とは異なっていることに注目し、天体の特定を試みる研究を行いました。
「吾妻鏡」以外の史料なども検討した結果、カシオペヤ座付近の方向にある天体の可能性が高いとみて、現在の観測データをもとにモデルを構築して当時の明るさを推定したところ、「土星のような明るさ」と合致することから、この天体が「吾妻鏡」で紹介された「客星」だと特定しました。
このような「土星のような明るさ」の超新星は珍しく、詳しいメカニズムはまだ分かっていないということで、800年以上の時を経て、再び注目を集めそうです。
黄さんは「理論モデルを使って時間をさかのぼり、当時の人たちが目にしていた天体の姿を調べることは基礎研究としておもしろいだけでなく、非常に知的好奇心をくすぐられます」と話していました。