天皇皇后両陛下 那須御用邸へ おふたりでの地方静養は23年ぶりhttps://t.co/ApgNbJHQwQ #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) August 21, 2024
天皇皇后両陛下は、静養のため、21日から那須御用邸に滞在されています。
両陛下は、午後1時半すぎに皇居を車で出発し、夕方、栃木県那須町の那須御用邸に到着されました。
社会人1年目の長女の愛子さまは、今回は日本赤十字社での業務のため同行されていません。
宮内庁によりますと、おふたりで地方で静養するのは、愛子さまの誕生前の平成13年夏に那須御用邸に滞在されて以来、23年ぶりです。
両陛下は、御用邸の敷地内で散策を楽しみ、報道陣からおふたりでの静養となった感想を尋ねられると、天皇陛下は「久しぶりですね。こういう風に2人でね」と話し、皇后さまと顔を見合わされました。
そして「自然が非常に豊富ですので、那須の自然を楽しむことができればというふうに思っています」と話されていました。
皇后さまは、那須連山のふもとにある御用邸周辺の涼しさに触れ「車で下の方から上がって参りましたら、途中からずいぶん涼しくなって、ちょうどこの御用地の森に入ったあたりから、涼しくなったような感じがいたします」と話されていました。
両陛下は、今月下旬まで那須御用邸に滞在される予定です。
#天皇家
夫婦同姓は日本の(江戸時代までの)伝統にはない。これはローマ・カトリック教会が決めたヨーロッパの伝統。日本は明治時代にそれを輸入した。
— 池田信夫 (@ikedanob) August 20, 2024
夫婦同姓はヨーロッパの伝統(アーカイブ記事) https://t.co/53B7QxiE1X
日本は内婚制(イトコ婚が可能)だったので、一族の屋号で呼んでいた。夫婦同姓は日本の伝統にはなかった。
— 池田信夫 (@ikedanob) August 21, 2024
これに対してヨーロッパでは、カトリック教会が一夫一婦の外婚制を決めたので、夫婦を単位とする核家族になり、夫婦同姓になった。https://t.co/53B7QxiE1X
著述家 松岡正剛さん死去 80歳「編集工学」の方法論などhttps://t.co/cYTb6UluiT #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) August 21, 2024
「編集工学」の方法論や、書籍紹介サイト「千夜千冊」などで知られる著述家の松岡正剛さんが今月肺炎のため亡くなりました。80歳でした。
松岡さんは京都市の出身で、早稲田大学を中退したあと、1971年に雑誌「遊」を創刊し編集長を務めました。
1987年には編集工学研究所を設立、生命や歴史、文化などさまざまな情報を編集して組み合わせる「編集工学」の方法論を提唱したほか、日本文化を独自の視点で読み解く著作を次々と発表しました。
2000年からはウェブサイト上で書籍を紹介する「千夜千冊」の連載を始め、先月までに合わせて1850冊を取り上げました。
また「編集工学」についてオンラインで学べる学校を立ち上げたほか、埼玉県にある「角川武蔵野ミュージアム」の館長も務めていました。
松岡さんの事務所によりますと、松岡さんはがんを公表してからも活動を続けてきましたが、2か月前に肺炎を患い今月12日に東京都内の病院で亡くなったということです。
80歳でした。
松岡正剛さんがご逝去されました。
— 講談社現代新書 (@gendai_shinsho) August 21, 2024
現代新書では、知の実用決定版である『知の編集術』、日本文化の本質を見通す「松岡日本論」の集大成『日本文化の核心』をご執筆いただきました。
謹んでお悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/gtCLEtsXUs
作家 石川好さん死去 77歳 「ストロベリー・ロード」などhttps://t.co/2RWJlenDbb #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) August 21, 2024
「ストロベリー・ロード」などのノンフィクション作品や、民放の討論番組への出演で知られる、作家の石川好さんが、19日、心筋梗塞のため東京都内の病院で亡くなりました。77歳でした。
石川好さんは1947年、東京の伊豆大島生まれ。高校卒業後にアメリカのカリフォルニアへ渡り農園で働いたあと、慶應義塾大学に入学し、卒業後に再び渡米して庭園業を営みます。
その後、1983年に「カリフォルニア・ストーリー」で作家としてデビューすると、1989年、自身の経験を元にアメリカのイチゴ農園で働く日々をつづった「ストロベリー・ロード」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、作品は映画化もされました。
石川さんは、日米関係などを専門に民放の討論番組に出演したほか、かつて日本の海運を支えた「北前船」を生かした地域振興に取り組んだりするなど、幅広く活動してきました。
2009年からは山形県の酒田市美術館の館長を務め、美術館によりますと、最近も業務にあたっていましたが、19日、心筋梗塞のため東京都内の病院で亡くなったということです。
77歳でした。