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#天皇家

ローマ教皇庁によると、世界のカトリック教会の頂点に立つローマ教皇フランシスコが21日、死去した。88歳だった。

フランシスコ
イースターを祝う人々を祝福する最後のツイート…「私たちは死のために造られたのではなく生のために造られた」

バチカン市国(AP)
ローマ法王フランシスコは、資本主義や気候変動への批判で保守派を疎外した歴史上初のラテンアメリカ出身の法王である。

バチカンのカメラマンであるケビン・フェレル枢機卿は発表の中で、「彼の全生涯は主と教会への奉仕に捧げられた」と述べた。🐸

【フランシスコ教皇が死去=ローマ教皇庁

❗️ ローマ教皇庁バチカン)は21日、フランシスコ教皇が死去したと発表した。88歳だった。

20日にはキリスト教の復活祭のミサに出席し、バチカンを訪問した米国のバンス副大統領とも面会するなど、動静が伝えられていた。

教皇は肺炎のため、2月中旬に入院。一時は人工呼吸器の装着が必要となるなど、容態の悪化が伝えられていたが、回復し3月には退院していた。

フランシスコ教皇は1936年アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。2013年、先代のベネディクト16世が高齢のため生前退位したのを受け、イエズス会出身者として初めて教皇に即位した。2019年には訪日し、天皇陛下や当時の安倍首相と会見した。質素で禁欲的な生活を送り、「貧者のための教会」を望む教皇の姿勢は、世界中で多くの庶民の支持を集めた。

フランシスコ教皇の訃報を知りました。教皇を愛した世界中の何百万ものキリスト教徒の皆様に心からお悔やみ申し上げます。

昨日、彼に会えて嬉しかったです。明らかに体調が悪かったにもかかわらずです。しかし、COVID-19が始まったばかりの頃に彼が行った下記の説教は、今でも私の心に焼き付きます。本当に美しい説教でした。

神が彼の魂を安らかに眠らせますように。

イースターの後、ローマ教皇フランシスコは帰天されました。何百万ものカトリックの米国人、そして教皇の聖なる導きを受けたすべての人々が深い悲しみに包まれています。その御魂がどうぞ安らかでありますように。教会そして全世界のため休むことなく奉仕された教皇フランシスコに、永遠の安息があるようお祈りいたします。

プーチン露大統領、教皇死去で哀悼の意】

❗️ ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は21日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇の死去を受け、哀悼メッセージを発表した。

💬 メッセージ全文

フランシスコ教皇は、キリスト教の教えの忠実な信奉者として、賢明な宗教家及び国家指導者として、人道主義と正義という崇高な価値観の一貫した擁護者として、大きな国際的権威でいらっしゃいました。

在任中はロシア正教会ローマ・カトリック教会間の対話の発展、ロシアとローマ教皇庁の建設的な交流に積極的に貢献されました。

私自身、この傑出した人物と何度もお話をする機会があり、彼の最も輝かしい思い出を永遠に持ち続けます。

ℹ️ 写真は2015年、プーチン大統領のイタリア、バチカン訪問時のもの。

フランシスコ教皇、安らかにお眠りください。そして、教皇教皇を愛したすべての人々に神のご加護がありますように。

ドナルド・トランプ・トゥルース・ソーシャルより 2025年4月21日 午前7時59分

【次の教皇は誰に バチカンは選出「コンクラーヴェ」を準備開始】

フランシスコ教皇(88)の死後、誰が次の教皇となるかに全ての注目が集まっている。

理論的には、洗礼を受けた男性のカトリック教徒であれば誰でも教皇になれるが、実際には、枢機卿の一人がカトリック教会の新しいトップに選ばれることはほぼ間違いない。枢機卿らはバチカンシスティーナ礼拝堂に集まり、コンクラーベ(秘密投票)を行う。

2013年にベネディクト16世が去ったとき、アルゼンチン人のホルヘ・マリオ・ベルゴリオが次の教皇になるとは、ほとんど誰も予想していなかった。

主な争点は、故フランシスコ教皇が推進してきた進歩的な考えを支持する候補者と、家族、移民、LGBTの権利に対するフランシスコの考えに反対する保守的な候補者との間で争われることになりそうだ。

教皇の選択は、カトリック教会のこれからの数年の方向性を左右しうる。

ローマ教皇フランシスコが21日死去した。88歳だった。

教皇庁バチカン)がバチカンテレビで午前7時35分(日本時間午後2時35分)に死去したと公表した。2月14日に肺炎などでローマの病院に入院、3月23日に退院。20日には、復活祭(イースター)の行事で公の場に姿をみせていた。

2022年2月のロシアのウクライナ侵攻以降は、ほとんどの公の場で平和を訴え、紛争を支持したロシア正教会のキリル総主教を批判したことで、正教会との関係が悪化した。

ハマスイスラエル越境攻撃を巡っては人質解放を訴え、イスラエルのガザ攻撃が拡大ではイスラエルへの批判を強めた。
欧州各国の首脳をはじめ各国から追悼の声が相次いだ。

教皇は20日にはバンス米副大統領とも短時間会見。副大統領はXに「教皇を愛した世界中の何百万人ものキリスト教徒に、心からの哀悼の意を表する」と述べた。

トランプ米大統領は「安らかにお眠りください」とSNSに投稿した。

ロシアのプーチン大統領も哀悼の意を表明した。

ベネディクト16世の辞任を受け2013年3月、初の中南米出身者として76歳で教皇に選出された。保守的なローマカトリック教会の改革を目指したが、内部に波乱を引き起こすことも多かった。

アルゼンチン出身で本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。貧しい人々への配慮で知られ、はみ出し者と見なされていただけに、教皇選出には多くの教会関係者が驚いた。

これまでの前任者が住んだ使徒宮殿内の華美な住居を利用せず、「精神的な健康」のために共同生活を送る方が良いと述べていた。

児童への性虐待を巡るスキャンダルで分裂していたカトリック界を率い、秩序回復という使命を担ったが、任期が進むにつれて保守派から伝統を破壊したと激しい批判にさらされた。一方で、さらなる改革を求める進歩派からも怒りを買った。
そうした中でも、移民など疎外された人々の側に立ち、宗教間の対話や平和への取り組みを推進。外国訪問先では多数の聴衆を集めるなど、高い人気を集めた。

教皇は後継者を選ぶ枢機卿選挙人の8割程度を任命。これにより、保守派からの強い反発にもかかわらず、進歩的な政策が後継者に引き継がれる可能性が高まった。

ローマ教皇庁は21日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が亡くなったと発表しました。88歳でした。
教皇は貧困や気候変動などの問題に取り組み、各地で続く紛争の平和的な解決を求めたほか、日本の被爆地を訪れて核兵器の廃絶も訴えました。

目次

フランシスコ教皇 2013年に教皇就任
教皇選挙 “コンクラーベ” 3分の2以上獲得まで投票
各国首脳らも追悼

フランシスコ教皇アルゼンチン出身で、2013年に中南米出身者として初めて教皇に選ばれました。

在任中、世界的に貧富の差が拡大しているとして格差の解消を訴え、貧しい人々の救済にあたったほか、難民や移民の保護や気候変動への対応を呼びかけるなど、地球規模の課題解決に向けて積極的に発信してきました。

2019年には、ローマ教皇としては38年ぶりに日本を訪れ、被爆地の広島や長崎でスピーチを行い、広島では「核兵器は使うことも持つことも倫理に反する」と述べ、核兵器の廃絶を強く訴えました。

2022年2月に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻については、繰り返し平和的な解決の必要性を呼びかけたほか、2023年10月にイスラエルイスラム組織ハマスとの戦闘が始まってからは、一刻も早い停戦とガザ地区での人道状況の改善を求めてきました。

また、フランシスコ教皇は質素な暮らしぶりや信者とふれあう気さくな人柄でも知られてきました。

ただ、ここ数年は健康不安がとりざたされ、入退院を繰り返し、ことし2月14日から1か月余りにわたって、気管支炎の治療と検査のためイタリアの首都、ローマの病院に入院していました。

ローマ教皇庁によりますと、教皇は現地時間の21日午前7時半すぎ、亡くなったということです。88歳でした。ローマ教皇庁は死因は明らかにしていません。

被爆地 広島から追悼の声

フランシスコ教皇は、2019年、ローマ教皇としては38年ぶりに被爆地の広島を訪れ、この際に行ったスピーチでは「核兵器は使うことも持つことも倫理に反する」と述べ、核兵器の廃絶を強く訴えました。

このとき、教皇を前に被爆者の代表の1人として証言した梶本淑子さん(94)は「握手をしてくださり、あたたかい方でした。『片手に武器を持ったまま平和を唱えられない』と言われたのが頭に残っています。亡くなったと聞いて力が抜けたような気持ちになってしまいましたが、私も出来るかぎりは活動を続けていきたいと思います」と話していました。

梶本さんは今も証言活動を続けていて、教皇に伝えたいこととして「あなたの遺志を、小さな小さな私ですがつなぎたいと思います。『安らかにお休みください』と伝えたいです」と話していました。

また、フランシスコ教皇が広島を訪れた際に開かれた「平和のための集い」に招待され、教皇と握手をした被爆者の森重昭さん(88)は「教皇は広島に来ていろいろなお話をしましたが、平和のために自分はここにおるんだという思いを持っていました。世界でいつ核兵器が使われるか分からない中で、核の恐ろしさを話してくださった教皇が亡くなったことは、返す返す残念です」と話していました。

広島市の松井市長は「フランシスコ教皇は、平和公園での演説の中で『核兵器保有は、それ自体が倫理に反しています』、また『真の平和とは、非武装の平和以外にありえません』と述べられました。このことは、世界の為政者に向けた力強いメッセージの発信になるとともに、『ヒロシマの心』に通じる教皇の思いは、核兵器廃絶を願う世界中の多くの市民を勇気づけました。改めて、原爆がもたらした悲しみや苦しみに心を寄せ、核兵器もない戦争もない真に平和な世界を願い、行動を続けてこられた教皇に対し、深く敬意を表すとともに、謹んで御冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。

被爆地 長崎からも

フランシスコ教皇は、2019年11月24日に長崎市を訪問した際、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信し、原爆で破壊された教会、浦上天主堂のがれきの中から見つかった「被爆十字架」と「被爆マリア像」に触れたうえで、すべての人が一致団結して行動を起こすよう求めました。

日本被団協の田中重光代表委員は、教皇が2019年に長崎市の爆心地公園を訪問した際の様子について「非常に長くお祈りをしてくださった」と振り返りました。

そのうえで「体調が回復したときには喜んでいたので、亡くなって非常に残念だ。教皇の平和へのメッセージが今戦争をしている国に届いてほしかった」と話していました。

日本被団協代表理事被爆者の横山照子さんは、教皇が2019年に長崎を訪れた際に、爆心地公園で直接、メッセージを聞きました。

フランシスコ教皇が亡くなったことについて、横山さんは「本当にびっくりした。青天のへきれきで、今世界で戦争が起きている状況を鎮めてほしいと期待をしていたので、本当に残念でしかたが無い」と話していました。

そして、2019年当時を振り返り、「近寄りがたいけれど、近寄ることができるような親しみやすい教皇だった。核兵器はなくさないといけないというメッセージをくださり、なくしていく一員として、私自身最後まで頑張れると思ったし、世界にメッセージを発してくださり心強くも思った」と話していました。

その上で、「戦争を鎮めるという志の半ばで亡くなられたので、次の教皇にも平和のために後を引き継いでほしいし、核兵器は人類の悪だと捉えてメッセージを発してほしい。爆心地でお会いした優しい姿を忘れず胸に刻んで、核兵器廃絶のために一生懸命頑張っていきたい」と話していました。

長崎の被爆者で日本被団協の和田征子事務局次長は、2017年11月にバチカンで開かれた核兵器廃絶を目指す国際会議でフランシスコ教皇と面会しました。

和田さんは「お会いした時は見たとおりの優しい方だという印象でした。核兵器は持っているだけでも非難されるべきだと発言をされたり、原爆投下後の長崎で撮影したとされる『焼き場に立つ少年』の写真を配布するよう指示したりするなど、被爆者をはじめ差別を受けた人たちに寄り添ってこられた方でした。突然の訃報にびっくりしておりとても残念です」と話していました。

同じく長崎の被爆者で医師の朝長万左男さんは、去年11月にバチカンを訪れた際に教皇と面会し、ことばを交わしたということで「去年、教皇のもとを訪問した際には、『平和のために頑張ってください』とお祈りをしてくださった。ささやかな祝福をしてくださったあと、いっしょに訪れた一人ひとりに握手をしてくれました。回復されたと思っていたので驚きました」と話していました。

また、フランシスコ教皇が2019年に長崎などを訪れた際に通訳を務め、教皇になる前にはアルゼンチンの神学校で直接指導を受けたことがある、長崎市の「日本二十六聖人記念館」の館長 レンゾ・デ・ルカさんも取材に応じました。

レンゾさんは「心が広く、人の弱さを受け止められる人でした。失ったものは大きいです」と述べました。そのうえで「教皇は誰が味方か敵かなどを考えず、とにかく平和を望んでいて、どうすれば今起きている戦争を終わらせられるかを考えて、自分のできることを行っていました。自分が生きている間に平和な世界が実現できなかったので、残念でつらかったと思う」と話していました。

袴田巌さんに無罪判決祝う手紙も

再審=やり直しの裁判で無罪が確定した袴田巌さん(89)は死刑囚として収容されていた際、東京拘置所で洗礼を受けてカトリック信者になり、2019年には、フランシスコ教皇が東京ドームで執り行った大規模なミサに招かれました。
また、ことし2月には教皇の意向で、ローマ教皇庁から無罪判決を祝う手紙とロザリオが袴田さんのもとに届いたということです。

袴田さんの姉のひで子さん(92)は「入院していると聞いていましたが、突然、亡くなったと聞いて驚きました。ミサにお招きいただき、それ以外のところでも気にかけていただいて大変ありがたく、心強さを感じました」などとコメントしています。

上智大学運営法人の元理事長 “庶民的で父親のよう”

フランシスコ教皇に4回面会したという上智大学を運営する法人の元理事長で、現在、東京・千代田区聖イグナチオ教会で主任司祭をつとめる高祖敏明さんは「これまで全力疾走に近い形で、教会を引っ張ってこられたので、悲しさももちろんありますが感謝の気持ちが強いです。以前に面会した際は『パラセーラ』=こんばんはから始まりましたが、そんな教皇はいなかった。庶民的で飾らない姿が印象的でした」と話していました。

フランシスコ教皇は2019年に来日した際、上智大学で大学生に講話を行っていて、このときも高祖さんと面会しています。高祖さんは「父親のようにコミュニケーションをとってくださる方でした。若者を大事にしていて、若者たちに『これからの時代をリードしてほしい引っ張ってほしい。あなたたちはこれからの時代を担っていく、そういう責任があるんですよ』と非常に強調してお話になっておられました」と振り返っていました。

万博会場にはバチカン国旗の半旗

教皇の死去を受けて、大阪・関西万博でバチカンが共同で展示を行っているイタリアパビリオンでは、急きょバチカンの国旗の半旗が掲げられました。
イタリアパビリオンの前にはイタリアとバチカンの国旗が掲げられていますが、バチカンの半旗で訪れた人たちは教皇が亡くなったことを知りさびしそうな表情を浮かべていました。

フランシスコ教皇 2013年に教皇就任

フランシスコ教皇は、1936年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生まれました。20歳の時に聖職者の道に進み、16世紀に日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルらが創設した修道会、イエズス会に入りました。

聖職者としてほとんどの期間を故郷のアルゼンチンで過ごし、貧しい地区での活動に力を入れ、ブエノスアイレスのスラム街で人身売買の被害者や低賃金の労働者を支援し、地元のマフィアから脅迫を受けることもあったといいます。

2013年にローマ教皇に就任した際には、貧しい人のために尽くした中世のイタリアの聖人「フランシスコ」の名前を選び、貧しい人たちのための教会を目指す考えを示しました。

教会改革を推進 核廃絶訴え来日

カトリック教会の改革を進めたことでも知られ、バチカンの財政をめぐる不祥事や聖職者による性的虐待の問題などに取り組んできました。また、移民や難民の問題や気候変動、AI=人工知能など地球規模の課題について積極的に発信してきました。

このうち核兵器をめぐっては2017年、バチカンは国家としていち早く核兵器禁止条約を批准しました。フラシスコ教皇は、核兵器の使用に加えて、開発も保有も一切禁止すべきだという歴代の教皇よりも踏み込んだ姿勢を打ち出し、2019年にはローマ教皇として38年ぶりに日本を訪れ、被爆地の長崎と広島で核兵器の廃絶を強く訴えました。

紛争の平和的な解決を訴えてきたことでも知られ、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や、パレスチナガザ地区でのイスラエルイスラム組織ハマスとの戦闘などで、繰り返し停戦と人道状況の改善を呼びかけてきました。

中国との関係改善 批判も

一方で、議論を呼ぶ決断もしていて、2018年にはバチカンが、これまで外交関係のなかった中国との間で中国国内のカトリック教会の司教の任命方法をめぐり暫定合意し、関係改善を進めました。この際には、宗教への介入を強める中国政府に譲歩した結果だとして批判の声も上がっています。

11年を超える在任中、カトリック教会の信者が比較的少ないアジアや中東なども積極的に訪れてきたほか、ユーモアを交えた会話や信者とふれあう気さくな人柄で知られてきました。

ローマ教皇 カトリック教会の最高指導者

ローマ教皇は、13億人の信者がいるローマ・カトリック教会の最高指導者で、「イエス・キリスト代理人」とも位置づけられています。最初のローマ教皇はキリストの使徒聖ペトロだとみなされていて、フランシスコ教皇は266代目でした。

ローマ教皇は800年にカール大帝の戴冠を行ってドイツ周辺に樹立された「神聖ローマ帝国」の権威づけになったほか、11世紀にはイスラム教徒から聖地エルサレムの奪還を目指す「十字軍」の結成を呼びかけました。

16世紀にはカトリック教会の信仰のあり方に異論を唱えるプロテスタントの諸教会が生まれるなど宗教改革が起きるなか世界中への布教活動を進め、日本からイタリアのローマに派遣された「天正遣欧少年使節」がグレゴリウス13世に謁見しました。

現在のローマ教皇の主な役目はミサなどの宗教的な行事を執り行うことやカトリックの布教活動などです。また、バチカン国家元首として立法、司法、行政の全権を行使します。

国際世論に強い影響力 来日した教皇は2人

一方、紛争や災害など世界的な問題についての発言は国際世論に強い影響力を与えてきました。

1978年から2005年までローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世は、1979年に社会主義政権下の母国ポーランドを訪問し、その後の民主化運動を主導した自主管理労組「連帯」の精神的な支えとなり、東ヨーロッパの民主化を後押ししたともいわれています。

また前の教皇ベネディクト16世は避妊や人工中絶などに強く反対する保守派として知られ、就任後もこうした立場を表明していました。

フランシスコ教皇は、核兵器保有自体を認めない姿勢を打ち出し、バチカンとして核兵器禁止条約に批准しました。

これまでに日本を訪れたのは1981年のヨハネ・パウロ2世と2019年のフランシスコ教皇の2人で、いずれも広島と長崎で原爆の被爆者と交流するなどして核廃絶を訴えました。

教皇選挙 “コンクラーベ” 3分の2以上獲得まで投票

新しい教皇は、教皇に次ぐ地位にある枢機卿たちによって「コンクラーベ」と呼ばれる選挙で選ばれます。

コンクラーベとは、ラテン語で「鍵がかかった」という意味で、13世紀に教皇の選出が紛糾して3年にわたって空位が続いた際に、怒った市民が枢機卿たちを閉じ込め、新しい教皇を選出させたことがその由来とされています。

コンクラーベは、教皇の死去や辞任の後、原則として15日から20日の間に始まることになっていますが、枢機卿が集合していれば開始を早めることも可能です。世界各地の80歳未満の枢機卿が参加し、ミケランジェロフレスコ画最後の審判」で知られるシスティーナ礼拝堂で行われます。

投票総数の少なくとも3分の2を獲得した枢機卿が就任を受諾すれば新しい教皇に選ばれますが、要件を満たす枢機卿が出なければ、翌日からは午前と午後に合わせて4回、投票が繰り返されます。初日を含めて3日間、新しい教皇が選ばれない場合は、最長で1日の祈りなどの期間を設けてから再び投票を始めます。

期間中は外部に連絡できず 投票結果は煙の色で

コンクラーベの期間中、枢機卿たちは専用の宿泊施設に寝泊まりしますが、選挙の間は厳しく秘密が保たれ、緊急時を除いて外部との連絡を禁じられるほか、新聞を読んだりテレビを見たりすることもできなくなります。

投票の結果、新しい教皇が決まらない場合は煙突から黒い煙があがることになっていて、新しい教皇が決まると礼拝堂の煙突から白い煙があがり鐘が鳴らされることになっています。

教皇が新しく選ばれると、大勢の信者たちが見守る中、バチカンのサンピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せ、世界に向けてメッセージを送ることになっています。

20世紀以降のコンクラーベ 最速は2日で決定 14回投票も

コンクラーベは、20世紀以降、10回行われています。

コンクラーベは、3分の2以上の票を得る枢機卿が出るまで繰り返し投票を行うことになっていて、過去10回で最も早いケースは2日目に教皇が決まっています。

1939年のピオ12世はこれまでで最も早い2日目に3回目の投票で選ばれたほか、1978年のヨハネ・パウロ1世と、前々回・2005年のベネディクト16世は、いずれも2日目に4回目の投票で選ばれました。

また前回・2013年は、2日目に5回目の投票でフランシスコ教皇が選ばれました。コンクラーベはこれまで教皇の死去に伴って行われるのがほとんどでしたが、前回は先代のベネディクト16世が高齢による体力の低下を理由に生前に辞任して行われた異例のケースでした。

一方、20世紀以降最も時間がかかったのは1922年にピオ11世が選ばれたコンクラーベで、5日目に14回目の投票で決まりました。
各国首脳らも追悼

イタリアのメローニ首相はSNSに、笑顔で手を振るフランシスコ教皇の写真とともに追悼のことばを投稿し「私は試練と苦しみの中でも決して絶えることがなかった友情、助言、教えを享受する機会に恵まれた。私たちは悲しみに満ちた心で教皇に別れを告げる」と述べました。

フランスのマクロン大統領は、SNS教皇と一緒に写った写真とともに追悼のことばを投稿し「ブエノスアイレスからローマまで、フランシスコ教皇は最も貧しい人々に喜びと希望をもたらすことを望んだ。人と人、自然とを結びつけるために。すべてのカトリック信者に、そして悲しみに暮れる世界に思いを寄せます」と述べました。

ドイツのショルツ首相は21日、SNSに投稿し「世界は弱者の擁護者であり、温かい心を持った人物を失った」と哀悼の意を表しました。また、ドイツの次の首相への就任が見込まれているメルツ氏も「フランシスコ教皇は、社会のなかの最も弱い立場の人たちに対する尽きることのない献身で、記憶されるだろう」と投稿しました。

EUヨーロッパ連合のフォンデアライエン委員長は21日、自身のSNSに投稿し「教皇カトリック教会を越えて、謙虚さと恵まれない人々に対する愛で、何百万人もの人々を元気づけた。私の思いは、深い喪失を感じているすべての人々とともにある」と哀悼の意を表しました。そして「教皇の遺産が、より公正で平和で思いやりのある世界へと私たちを導き続けてくれるだろう」としています。

ロシアのプーチン大統領は21日、大統領府のホームページに掲載されたメッセージで「教皇は在任中、ロシア正教会ローマ・カトリック教会の対話やロシアとローマ教皇庁の建設的な交流を積極的に促した。私はこの傑出した人物と何度も話す機会があり、彼との輝かしい思い出を永遠に持ち続けるだろう」と哀悼の意を表しました。

フランシスコ教皇の出身国 アルゼンチンのミレイ大統領は21日、自身のSNSにアルゼンチンの国旗を持つ教皇の写真とともに哀悼のことばを投稿し、「教皇が亡くなり、安らかに眠っていることを知り、深い悲しみを感じています。彼の優しさと知恵に触れられたことは本当に光栄なことでした」と述べました。そして「私は大統領として、アルゼンチン人として、教皇に別れを告げ、この悲しいニュースを知った人びととともにいます」としています。

イギリスのチャールズ国王は声明を出し「教皇は、その思いやり、教会の結束への思い、そして信者と、他者のために尽力する善意ある人たちが共有する使命へのたゆまぬ献身によって記憶されることだろう。地球を大切にすることは、神への信仰の表現であるという信念は、世界中の人々の心を強く打った」としました。

チャールズ国王は妻のカミラ王妃とともに、教皇と4月9日にバチカンで私的に面会したばかりで「王妃と私は、これまで教皇とお会いした際の思い出を特別な愛情とともに振り返っている。教皇が信念を持って仕えた教会、そして彼の生涯に心を動かされた世界中の多くの人たちに、心からのお悔やみと深い哀悼の意を捧げる」と、その死を悼みました。

台湾の頼清徳総統は21日、SNSに「台湾の人々を代表して心から哀悼の意を表します」と投稿しました。その上で「私たちは平和や世界の連帯、困窮する人々への教皇の生涯にわたる献身からインスピレーションを受け続けるでしょう」としています。

バチカンは台湾がヨーロッパで唯一、外交関係を維持している国で、台湾総統府バチカンとの友好関係を引き続き深めていく考えを示しました。

アジア最大のキリスト教国で国民の8割以上をカトリック信者が占めるフィリピンのマルコス大統領は声明で、「本当に悲しいです。私は教皇を愛しています。私にとって、生涯で最高の教皇でした」と哀悼の意を表しました。

フランシスコ教皇は2015年にフィリピンを訪れて、台風の直撃で壊滅的な被害を受けたレイテ島の被災地を慰問したほか、首都マニラでも大規模なミサを行うなどして、経済格差や貧困の問題の改善を呼びかけました。

フィリピン大統領府は「教皇が疎外された人々に手を差し伸べることや、環境保護のために働くよう呼びかけた言葉を、フィリピンの人々はいつまでも忘れない」としています。

オーストラリアのアルバニージー首相は21日、声明を発表し、「南半球出身の初の教皇は、オーストラリアの人々に近い存在だった。教皇の人類への愛は強く深いものだった。慈悲の記憶と模範は末永く生き続けるだろう」と哀悼の意を表しました。

そして、フランシスコ教皇が2024年、インドネシアパプアニューギニアを訪れた際に話した、「戦争と環境破壊の闇夜から抜けだし、私たちの共通の未来を新しく輝く夜明けに変えよう」という言葉を引用した上で、「私たちの共通の故郷である地球の叫びに耳を傾けるように世界に呼びかけた」と功績をたたえました。

アメリカのバンス副大統領は追悼のメッセージをSNSに投稿し、「フランシスコ教皇の訃報に接しました。教皇を愛した世界中の何百万人ものキリスト教徒たちに心からお悔やみ申し上げます」と述べました。

バンス副大統領は、フランシス教皇が亡くなったと発表された前日の20日、現地で教皇に面会しており、握手を交わしたり、教皇が笑顔を浮かべたりする場面もありました。

バンス副大統領は、「きのうは明らかに容態が悪かったにもかかわらず教皇に会うことができて幸せでした。教皇新型コロナウイルスの感染が始まったころに行った説教をずっと覚えています。本当に美しいものでした。ご冥福をお祈りします」と投稿しています。