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ラオスを公式訪問している天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは、世界遺産に登録されている古都を訪ねられました。愛子さまは、21日に帰国の途につかれます。

愛子さま20日世界遺産に登録されている北部の古都、ルアンプラバンを訪れ、町のシンボルのシェントーン寺院を視察されました。

また、日本のNPOが設立し、年間3万人以上の子どもに無償で医療を提供している小児病院を視察し、患者や家族とことばを交わされました。

そして、ラオスを代表する観光地のひとつ「クワンシーの滝」にも足を運ばれました。

初めての外国公式訪問で、17日からラオスを訪れている愛子さまは、首都ビエンチャンでトンルン国家主席への表敬訪問や、歓迎の晩さん会に臨まれました。

晩さん会では、「日本・ラオス両国において、お互いの国への理解や関心がより一層高まり、果てしなく続く悠久のメコン川の流れのように、どこまでも発展していくよう願っています」などと、両国の親善を願うおことばを述べられました。

愛子さまは、ラオスから贈られた民族衣装の巻きスカートをたびたび身につけ、歓迎する現地の人たちと親しく交流されました。

また、ベトナム戦争時の不発弾の問題について展示する施設を視察したほか、日本人の教師が日本語や文化を教えている学校や、日本の武道の普及活動を行っている武道センターを訪ね、現地で活動する日本の人たちの姿をご覧になりました。

愛子さまは21日に、ビエンチャンラオスの絹織物の展示をご覧になったり、両国の交流に尽くしている人たちと懇談したりしたあと、夜には帰国の途につかれます。

ラオスを公式訪問中の天皇皇后両陛下の長女の愛子さまは21日、日本とラオスの交流に力を尽くしている人たちと懇談されました。愛子さまは21日で訪問の日程を終え、夜には帰国の途につかれます。

愛子さまは21日午前、首都ビエンチャンで、ラオスの特産品の1つ、絹織物を展示している施設を訪ねられました。

愛子さまは民族衣装などの展示を見て回ったあと、機織りを体験し、「楽しいです」などと話されていました。

愛子さまはこのあと市内のホテルで、日本とラオスの交流に力を尽くしている人たちと懇談されました。

このうち現地で活動する日本人との懇談では、JICA海外協力隊員として活動する看護師の女性に対し、「すごく大切な活動をされていますね」などと話されていました。

一方、日本とゆかりのあるラオスの人たちとの懇談では、長年友好協会の会長を務めてきた男性から「今回の訪問が大変うれしく、わくわくしていました。ラオスを初めての外国訪問先に選んで下さってありがとうございました」などと話しかけられ、笑顔で応えられていました。

愛子さまはこのあと小中学生の楽団による、日本の「さくらさくら」などのバイオリンの演奏を鑑賞されました。

愛子さまは子どもたちに向かい、「ラオスと日本の素敵な曲を演奏してくださり、ありがとうございました」と声をかけられていました。

愛子さまは21日ですべての日程を終えて夜にはラオスを離れ、22日の朝、日本に戻られます。

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愛子さまが少女からの贈り物に見せた神対応に一同感動!【令和の光】

#皇太子愛子


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#天皇家

織田信長が討たれた「本能寺の変」の翌日に、中国地方を攻めていた羽柴秀吉が、敵対する武将に宛てた書状が見つかりました。この時点で秀吉は、信長が討たれたと知らなかったとみられ、専門家は「歴史的な大事件直後の秀吉の政治的な動向がわかる貴重な史料だ」と指摘しています。

書状は10月に東京大学史料編纂所がインターネットオークションで購入したもので、村井祐樹准教授が調査に当たりました。

その結果、1582年に起きた本能寺の変の翌日、今の岡山市にある備中高松城を攻めていた秀吉が、敵対する毛利側の上原元将という武将に宛てたものだとわかったということです。

上原は、この時点で毛利側から寝返っていたことは知られていましたが、書状には 「上様(信長)に忠節を尽くすとのことなので備後国の権利を与える朱印状を送ります」 などと記され、見返りを約束されていたことがわかります。

秀吉が本能寺の変を知るのは、この日の深夜から翌日の未明にかけてとされ、信長が討たれたと知らずに書いたとみられます。

村井准教授は「本能寺の変の前後で出された信長や秀吉の書状は一切残っておらず、歴史的な大事件直後の秀吉の政治的な動向がわかる貴重な史料だ」と話していました。

この書状は来年2月7日から茨城県立歴史館で一般公開される予定です。