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真矢みき「とても感激」“歌手デビュー” 主演ドラマ挿入歌

 ドラマは京都のあらゆる道を知り尽くしている京都府警捜査1課の女性刑事が自ら克明に描いた捜査地図を基に頭脳と足をフル回転させて難事件を解決に導くサスペンス。「地図を“おつまみ”代わりにお酒が飲める」とマップ好きを公言する真矢にはうってつけの内容で、ドラマと歌の相乗効果で看板シリーズになるか注目される。

Stocks Keep Falling after Beige Book Details ‘Modest’ Recovery - Stocks To Watch Today - Barrons.com
Stocks Hit a Rut as Earnings Season Starts - Stocks To Watch Today - Barrons.com

The major stock indexes fell hard on Wednesday as earnings season began with a whimper, and global weakness continued to concern investors.

山下名人が勝ち2勝2敗 囲碁名人戦第4局2日目

 《山下名人の話》 黒39、41と突き破ったので悪くないかと思っていた。終盤、上辺を冷静に対処できて勝ちを意識しました。


 《羽根挑戦者の話》 1日目がまるでダメ。実戦は最悪でした。差がありすぎたので、2日目にチャンスはなかったでしょう。

囲碁名人戦七番勝負 第4局2日目ダイジェスト

 午前9時、両対局者が1日目に打った40手までを盤上に並べ直し、立会人の林海峰名誉天元封じ手開封した。山下名人が封じていた41手目は、検討陣が大本命にあげていた「6の十五」。黒39ハネ出しの一路左をツいだ手で、白が築こうとしていた中央から左下にかけての壁を突き破った。

 今回の対局地、仙台・秋保温泉は、6世紀に欽明天皇が病をいやしたと地元で伝えられる、歴史のある温泉地だ。時代を下ってからは、伊達政宗のお気に入りだったという。


 対局室のある茶寮宗園は数寄屋造りの建物に、8千坪もの日本庭園が広がる。対局室からもガラス越しに、松や紅葉、よく手入れされた芝生の丘、小さな水の流れが見える。


 11日の早朝は小雨が降り、対局室はいっそうの静けさに包まれていた。対局が始まってほどなく、明るい日が差し込んだ。庭には時折、小鳥が舞い降りるほかは動くものはなく、音もない。すがすがしい空気の中で、いよいよ決着へ向けて、戦いが始まった。

 昼食休憩に入った。今日も名人は昼食をとらない。羽根挑戦者の今日のメニューは、稲庭うどん、ネギとベーコン、油揚げの白菜巻きと豆腐のくたくた煮、お重には、サンマずし、卵焼き、青菜のおひたし、しいたけうま煮、ショウガ、壬生菜(みぶな)、たくわん、梅干し。デザートに梨がつく。お重には紅葉の葉が添えられ、秋の雰囲気を目でも楽しめる。

小川彩佳のあやかステーション part317

あやか
アドリブ会話喋ってる内に緊張すると顔が紅潮してピンク色www

あやかんぼうだからな

この子かわいいな…


性格がきっと素直なんだろうな…うん。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120912#1347460234
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『松原泰道全集1 般若心経のこころ』
P64

日本でこの般若心経を最も多く読んだのは、何といっても塙保己一(一七四六〜一八二一)でしょう。彼は今の埼玉県本庄市付近で生まれた江戸中期の有名な国学者です。不幸にも、五歳(七歳とも)で盲目となり、十二歳で母と死別した悲劇の人です。
 彼は生活のために琴と鍼を習いましたが、ものにならず、後に賀茂真淵らについて国文学を学んだところ、抜群の努力と異常な記憶力で国学だけでなく、中国文学にも通じました。もちろん、盲目で字は見えないから、人に読んでもらって聞くのですが、二十五、六歳のころには古今の有名な本の大部分を人に読み終えてもらい、それをことごとく暗記しました。
 二十七歳のとき、江戸亀戸の天満宮に参詣して、向こう一万日に、毎日般若心経を百巻ずつ、つまり「百万読誦」を誓います。それは、かつて鍼の先生であった雨富検校からの「世に名を残すほどの事業をするには、神仏のご加護がなくては不可能だ」との注意に従ったのです。
 保己一は「百万巻心経読誦」の誓いとともに、その半分の五十万巻に達するまでに、書物千冊を読んでもらおう、心経百万巻を読み終わるまでに、それまで暗記した書物を全部出版しよう――との大願をおこしました。彼は、心経を十巻読んでは用意の紙のこよりを小箱の中に一本ずつ入れ、彼の妻がそれを数えて手帳に記入します。誓願「万日」はおろか、保己一が七十六歳で没するまでの四十三年間、一日も怠りませんでした。
 彼のこの看経(お経を読むこと)の記録は現存する『般若心経御巻数帳』に残されています。一日百巻ずつで一ヵ月三千巻、一ヵ年三万六千巻、四十三年間に百五十四万八千巻ということになるのですが、『巻数帳』は「二百一万八千六百九十巻」――四十七万六百九十巻の“増”を記録しているので、ときには日に二百巻も心経を読んだと思われます。
 そして、彼は発願の『群書類従』という叢書を完成します。この叢書はわが国の古文書や昔の書物を集めて校訂(定本と他の伝本と比較訂正すること)を加え、正編五百三十巻、続編一千巻を超える膨大なもので、日本の国学研究に大きな貢献をしました。
 塙保己一は、盲目であるから、心経をはじめ、古い書物も人に読んでもらって耳で聴き、暗記するとともにこころで深く思索したのです。ゆえに私は「保己一は耳で読んだ」と申したいのです。普通、本を読み終わるのを「読破」といいますが、彼の場合は「聞き破」ったというべきでしょう。このように、口でなく耳で読み、こころで深く思考する看経(かんきん)により、彼は澄みきった『こころの眼』を開くことができたのです。
 ある雪の日、彼は平河天満宮へ参詣に出かけました。折り悪しく、高下駄の鼻緒が切れたので、境内の『前川』という版木屋(出版業者)の店の者に、ヒモでもいただきたいと頼みました。店の者は無言でヒモを彼の前にほうり出しました。盲目の彼が、ようやく手さぐりで探しあて、鼻緒をたてるそのしぐさがおもしろいと、店の者たちが手をたたいて笑うので、彼はいたたまれず、顔を赤らめてすごすごとはだしで帰りました。
 やがて、苦心の『群書類従』が完成して出版するにあたり、彼は幕府にこの『前川』を「版元」に推薦したのです。何も知らぬ主人が、保己一に推挙の礼をいうと、保己一は、「私の今日あるのは、あのとき受けた軽蔑に発奮したのが動機であるから、私のほうがお礼を申しのべたい」と、見えぬ目に深いよろこびを浮かべて語ったということです。
 怨みに報いるに怨みをもってしたら、永久に怨みはなくなりません。その相手を救おうと努力するところに、怨みはおのずから消えるのです。それが怨みを忘れずして、しかも怨みを空ずることになります。「心経」の知恵が、ここに躍動しています。災難を逃れるのもありがたいことですが、人生の逆境に立たされたとき、聖らかに、楽しく生きてゆける動力を、自分の中に開発できるのがお経の最上の功徳でありましょう。
 なぜならば、お経は、釈尊がさとったこころの内容を語るものですが、ほとけのこころそのものは、言葉で言い表わすことはできません。私たちはお経を読み、その導きによって、人生の深い真実なものをうなずきとった釈尊のこころに直結できたとき、ほんとうに「字で書かれたお経」が読めたといえるでしょう。

塙保己一 - Wikipedia

なお、ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と両親より教育されていて、1937年に来日した際、記念館を訪れている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110818#1313665459

『松原泰道全集4 仏教のこころ』
P386

 禅は、宇宙と人間とをつらぬく絶対の真理を体験するのが目的です。この目的を実際に体験するためには、どうしても私たちの心に浸み通っている相対的な考え方を超えなければなりません。
 現代人である私たちは、合理主義の祖とされるデカルト(フランスの哲学者。一六五〇年没)のいう”われ思う、ゆえに我あり”の考え方にもとづく合理的発想法に慣らされています。しかし、もし私たちが新しい思索の世界に入ろうとするなら、デカルトの到達した”我あり”の我とは何であるか、をみつめなければならないでしょう。
 たとえば、いま私は原稿を書いていますが、ペンを持って執筆している自分とは何であるか――と、自分を客観的に正しく知りたいのなら、自我に執着していてはだめです。自我を離れなければならないでしょう。自我を超えるための命題・テーマが公案です。
 したがって、公案の内容は合理的ではありません。もしも公案が合理的であったら、合理性対合理性の考え方では、果てしがなくて解決にはならないからです。そこで、公案は当然、非合理性の内容を持ちます。といっても公案は、不合理なテーマではありません。
「不合理」と「非合理」とは別次元のものです。「不合理」は、論理的に筋が通らないことで、“私の父は、私より齢が下です”というようなものです。
「非合理」は哲学用語で、合理的な知識では理解できない、つまり論理を超えた認識のことです。たとえば、芭蕉は「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と吟じますが、蝉の声が岩にしみ入るわけではありません、不合理です。しかし、合理によって事実を学ぶだけではなく、合理的な知識だけでは知ることのできない自然や人生のいわゆる非合理の真実を体験してはじめて、このすばらしい名句が生まれるのです。豊かな人生を築くこともできるのです。
 禅の公案は、合理的な三段論法では知ることのできない、宇宙と人生とをつらぬく真理をストレートに体得させる手引きとして与えられた課題です。よって公案を論理的に合理的に解釈しようとするのは、まず方法論的にスタートを誤っていることを知るべきです。

「合理的発想法」=「合理的な三段論法」=分別知
分別知を破ることを見性(けんしょう)するという。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071220#1198115769


法学方法論 - Wikipedia

法的三段論法

リーガルマインドって・・・。 - 法律 - 教えて!goo
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20121001#1349102134


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20121002#1349188062

先日...

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スタバ

そういえばハナちゃん、セイレーンを演じられてましたよね。

ハナちゃんはぼくから見ても神秘的。

Twitter / tamtam15401: 花總さんが退団後いつみてもきれいすぎて泣けるレベル

花總さんが退団後いつみてもきれいすぎて泣けるレベル