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『人物を創る』
P243

 我々が人生に向かっていろいろな目的を持てば持つほど、是非善悪の葛藤があるが、我々が少しでも大きい高い境地に進んで行けば、煩瑣な相対的境地が絶対的に高まってゆく。くだらぬ矛盾葛藤がだんだん処理されてゆく。我々の生きる方面が低ければ低いほど、我々が利己的な欲望に生きれば生きるほど、我々の善悪の葛藤が非常に煩瑣になってくる。そういうわけで、我々の生活が少しでも高まってゆき、大きくなってゆかねばならぬのであります。そうすると自然に、低い煩瑣な意味の善は解決されて、絶対的の境地に至らねばならぬ。即ち至善に至らねばならぬ。
 もし私共に理想というものがなくて、毎日ブラブラして暮していれば、朝起きるのが眠い。面会人が来たらうるさいということになる。食膳に坐っても、飯がまずい、煮方が悪い、茶がぬるいなどと言う。着物に垢がついているとか、古くなったとか、破れたとか、とかく善悪の葛藤が多い、ところが大きな用事でもあるときには、朝眠いなどと言っておれず、飯だってどうかすると、うまいか、まずいか分からぬで済ますし、着物も有り合わせのものを着て行くというふうに、我々の身辺の生活というものは非常に簡単になる。簡素化される。だから、理想精神の旺盛な者の生活は必ず簡素になり、剛健になる。いざこざがなくなってくるのであります。したがって心を無辺に遊ばす者は人生の風雨にあまり当たらない。

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