『渋沢栄一翁、経済人を叱る』
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これについて面白い話がある。それは余が少年時代に父が訓戒の例話としてたびたび語り聞かせたものであるが、そのころ余の実家の付近に、きわめて謹直な勉強家のじいさんが住んでいた。このじいさんは非常な働き人で、朝は寅の刻(午前四時ごろ)に起き、夜は子の刻(午前零時ごろ)に臥すというくらいに、年中不断に家業に出精(努力すること)したが、その結果相当な分限者(財産家)になった。けれども彼は貧乏なときと同一の心持ちで、金ができたからとて奢侈にふけるようなことはなく、相変わらず朝から晩まで働きどおしたので、近所の人は何を楽しみにああ勉強するのだろうかと、かえって不思議に思った。そこである人がこのじいさんに向かい「あなたはもうだいぶ財産をたくわえたから、いい加減にして老後を遊んで暮らしてはどうか」とたずねてみた。
するとじいさんは、「勉強して自分のことを整斉してゆく(自己啓発する)ほど世の中におもしろいことはない。私は働くことが何よりの楽しみだ。働いてゆくうちに楽しみの糟ができる。これが世の中の金銀財宝であるが、私は身後に残る糟粕は意とするところでない」といったそうである。