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『玉鏡』
あいぜん出版版)P183

女から惚れられぬ男、男から惚れられぬ女、いづれもさういふ人々には何の仕事も出来るものではない。男からも、女からも、老人からも、子供からも惚れられる様な人間であつて、初めて天下にわが志すところのものを、成し遂げ得らるゝのである。『今頃の男は女からすこし秋波を送れば、すぐデレデレして来る』と云ふのか。王仁が云ふて居るのは、さうした技巧を弄して強いて惹きつけるものの謂ひではない。男が惚れるやうな男、女が惚れるやうな女の事である。『桃李物云はず下自ら径をなす』と云ふ様な惚れられ方でなくては駄目である。惚れられる秘訣?愛善が徹底すればよいのである。自分の事よりも相手の幸福を思つてやる心だ。愛するものの為には自分の幸福を犠牲にすると云ふ心だ。王仁は初めてあつた人でも、話を聞いて居る中にその人の将来まで心配してやる心になる。王仁はいつも他人の事ばかり思つて、自分の事はちつとも思つて居ない。だから又他人が王仁の事を思ひ、王仁を愛して呉れる。王仁は又、わが愛人に他の愛人が出来た場合にも其事に対して極めて寛大である。本当に人を愛するならば、愛するものが幸福にあることを心の底から祈るのが真の愛である。他に走つたからと云うて、嫉み妬むのならば、それは自己の愛である。相手を愛してゐたのではなくて、自分の愛欲を満足さす為に愛人を犠牲にして居たに過ぎない。王仁の目から見れば、近代の恋愛は真の恋愛ではない、偏狭なる自己愛の固まりだ。かういふかたくなな心で、こうして愛が徹底するものか。惚れられる秘訣、唯相手の幸福をのみ祈る愛善の心だ、そして又其実際化だ。