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『いかに生くべきか』
P194

 その学問の根本義は純真な自己内心の声に耳を澄ます時、何人にも最も明瞭である。我々は何がために学を欲してやまぬか。知識才能を啓発するためであるか。これに対して純真な自我は答える。否、我々は論理的機械でもなければ、世渡道具でもない。知識や才能は我々の枝葉に過ぎぬと。それでは功名富貴のためであるか。いかなる愚者も心中に呟く。否、どう考えてもそれではないと。
 それでは何のために学ぶか。ふたたび純真な自我は答える。何のためでもない。学ばなければならないから学ぶのだ。学ばずにはおれないから学ぶのだ。この我れ、造化の明徳が、いやが上にも光明に、雄偉に、崇高にならなければならないのは絶対的な命だ。我れはかくの如き命(天命)を本分(性)とするものだ。この本分に率うのが道、この道を開拓するのが学問の本義だと。