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『いかに生くべきか』
P173

 かくの如きが西洋君主政治下における政治思想の一般である。私はそれ等の思想を通じて、あくまでも矛盾的差別的な特徴を感ぜざるを得ない。すなわち君主の思想にせよ、人民の思想にせよ、各々小我を以て相対立する差別世界に住し、常に固陋な小我を主張し、したがって著しく権利の観念に富んでいる。権利観念の基礎は相対的立場にあって、自己が一定の利益を享有すべきことを他に認めさせようとする意志にある。故に相対的立場を脱して自他融合するときは権利観念を存しない。親が子の孝行を喜ぶ時、親は決して子に扶養さるる権利があるとは思わないのである。同じ理由によって、君民の意思が契合すれば王権神授説や契約論的民権説の主張さるべき余地はない。君主が神権を主張する時、彼は人民をその「我」に包容していない。人民もまたその契約説を酬いる時、君主から冷たく離索している。
 かくて彼等の人類結合の最終形式とした国家も、実は君民を統一した有機的組織ではなくて、単に君民を集合した機械的体系である。君主と人民とは本来不二の関係ではなくて、元々別個の存在である。かくの如き君民関係にあって、いかにして国家に生命あり感激ある政治を期することができようか。西洋君主政治の倒壊はもとより必然の運命である。

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