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長谷部恭男教授の憲法学への疑問(7):「切り札」としての人権論の検討

私は、長谷部教授の「『切り札』としての人権」論が、実のところ、「人権」という概念を全く無に帰してしまうようなおかしな主張であることを指摘したい。

長谷部恭男教授の憲法学への疑問(8):「切り札」としての人権は切り札足り得ているか?

 「『切り札』としての人権」などというと、さぞ長谷部教授の主張は人権の重要性を訴えたもののように思えるが、実態は正反対である。

長谷部教授ははっきりと「他人の権利や利益を侵害しているからという『結果』に着目した理由ではなく、自分の選択した生き方や考え方が根本的に誤っているからという理由に基づいて否定され、干渉されるとき、そうした権利が侵害されているといいうる」と述べている。

 このような、一見した見かけとは全く異なる実態を持っているのが、長谷部教授の「『切り札』としての人権」論なのである。

他人に迷惑をかけなければ何をやってもいいという考え方。
道徳を伴わない形の功利主義で、利己主義批判をかわすために、価値相対主義を利用している。
疑問(1)については→こちら