大きな政府と小さな政府の分かれ道 主要6紙の元旦社説を読み比べて考えた|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン
新自由主義やグローバリズムといったレッテルを貼って、アメリカのやり方が全て駄目だったと書くのは、率直に言って、雑な議論ではないか。
昨年の大連立未遂の仕掛け人だった読売らしいのは、衆参のねじれ国会をなんとかしたいと強調する点だ。次の総選挙では、自民、民主ともに単独過半数は難しいという情勢分析を示すが、与野党ともに連立の動きがあることを指摘し、中長期的展望を踏まえた政策を「迅速かつ強力」に推進できる政治態勢が必要であると主張する。
相変わらずの大連立指向だが、大連立政権が「拙速かつ強引」にならない保証はない。一つの意見だろうが、筆者はあまり共感しない。
モノづくりを大切にするという蟻型の生き方を切って捨てていない日本人の流儀こそが大切だと言うのだが、結局、物を作って輸出するという、世界の需要と円安に支えられてきた従来の経済モデルに立ち返れというのか。
要は、物作りに集中して、寝る間も惜しんで働けと言っている。「日本的」を情緒的に称えるのは、まあいいとしても、将来の経済のビジョンが感じられない。
現在主に世の中で議論されているセーフティネットは、弱者救済が目的だ。社説は、これをさらに越えて、普通の人々の生活にも深く関わってくる大きな政府を作ろうと言っている。
神野教授の著書を読んでみたい。
日経新聞の社説は、小さな政府の理念を保ったままで、何が良くて何が悪いのかを見ていく(役所の肥大化を警戒しつつ)という「小さな政府」論を展開した。あるいは、大きな政府が提供する福祉で安心して暮らしたいとしてスウェーデン型を望むのか。