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書評 『大衆の反逆』

 しかし、オルテガの言う「大衆」や「エリート(少数者)」は、このような一般的なイメージとは全く相違する。すなわち、彼の言う大衆と少数者との別は、いわゆる一般大衆と上層階級というような社会的な区別ではなく、その人自身の生き方に対する自覚・意識の有無、生の質にかかわるものである。さらに言えば、一般に「エリート」と目されている人こそ、他ならぬ「大衆人」である可能性も大いにあり得る。否、むしろ彼らの大部分が大衆へと堕落してしまっていると言えるのではなかろうか。

大衆人は、自らを取り巻く高度で豊かな「生」の環境、すなわち「文明」があたかも空気のように自然に享受されるものであるかの如く錯覚する。それゆえ、そのような文明をもたらし、それを維持している稀有の才能に対する感謝の念すらも忘却する。また、彼は自らがあたかも完璧な人間であるかの如く錯覚することで、あらゆる意味において自己を超越した者の声に耳を貸すことがない。そんな不従順で自己閉鎖的な人間と化してしまう。

 言うなれば、近代の文明世界に突如おどり出た未開人。野蛮人。これぞまさに「大衆の反逆」の本質である。そして、彼らが社会的権力の座を占有してしまったところに、その時代が直面している危機の真相があるのである。

高貴さとは「自らに課す要求と義務の多寡によって計られるもの」(p.88)に他ならない。
そして、歴史とは「自分の背後に多くの過去すなわち経験をもつということ」(p.129)である。