團藤 ええ、僕自身は今出ている裁判員の制度には反対なんです。でも、決まってしまったものは、それに即して実務を考えてゆかなきゃならないでしょう。
当時の最高裁判事は、とにかくみんなあんまり硬い議論をする。いや、法律というのは元来そんなものじゃない、ということを強調したかったから、もう思い切って、議論をぶち壊すような議論ばっかりしていたんです(笑)。
團藤 大事なことはハッキリ言わないとね。
團藤 人民のため、ということを抜きにした法律の考え方などは、とんでもないという議論を盛んにしたわけです。やはり本来、住民とか、市民、人民のためにあるべき法、というのが大前提ですから。
でもとにかく、凝り固まり過ぎちゃっててね。そんな大人びた考え方じゃだめだと。もっと柔軟性を与えないといけないと。
法律の解釈を、状況に即してきちんと自由に考えてゆくことから進歩が生まれてくるわけです。
「判例というのは動いていくものだ」というのが僕の前提です。判例は動いていくものだし「動かしていくものだ」ということ。ここで「法的安定性」ということが問われてくる。判例は動いていくべきものだけれど「動中静あり」で、動いていく中に、おのずから固まっていくものがあるのでね。
團藤 そうですね。社会は常に動いている、変化して形のないものだから、その実情に合わせていこうとすると、法の解釈も必然的に変わっていかなきゃならない。そうやって臨機応変に正しく判断しながら、一貫性が保たれるわけですね。
三段論法的に「現在判例はこうである」「この事案はこう」で「だから判決はこう」とやっているでしょう。これでは生きた実践の法理は成立しないでしょう?
そうじゃなくて、個々の事案にそれぞれの特殊性があるでしょ。
團藤 ええ。でも僕は、これこそが法律の一番の大事なことだと主張したわけです。すると「法的安定性はどうするんだ?」と言う人がある。そこで「法的安全性、レヒツジッヒャーハイト(die Rechtssicherheit)」というものは、そういう文字ヅラが硬直化したようなものではなくて、実情に即して動かしていくことによって確保されるものだと説明しなければならなかった。社会だけが進んじゃって、後に取り残されていたら法も何もないでしょう。
最高裁に入るや否や、すぐに議論を始めて、毎回議論をして、嫌なやつだと思ったそうですよ。
英米法のコモンローというのはそういうことで、自然発生的な面が多いでしょう。制定法じゃなくて自然発生的な。この自然発生的ということは民衆の力ということですよね。それが大事なことでね、日本では制定法が全部になっている。それじゃいけないですよ。
團藤 ちゃんと切れないといけない、その使いようを心得ないといけない。それ抜きで、ただ「現行法がこうだからこうだ」とか「判例がこうだからこうだ」という議論ばかりしていたら、刃物は切れないですよ。せっかく切れる刃物があってもそれはだめですよね。
團藤 僕は「裁判員」というようなものの、基本的な考え方には賛成なんですよ。これは先ほどの、動いてゆく「法的安定性」と同じもので、時代によって変化してゆく民衆の考え方が判例の中に織り込まれてこないといけない。でもそれは、法が本来守るべき本質を、時代を超えて一貫してゆくための変化で。そうでなく「奉行所のお裁き」みたいな裁判では進歩がないですね。世の中の要求を吸い上げることができないでしょう。
團藤 そうです。動くものには動くもので応対しなきゃ。だからこそ僕は判例というものは動くものだと主張したんですよ。進歩のない判例なんてとんでもない、死んだ判例だと言ってね。それが僕の根本の議論で、それが僕の主体性理論にも通じてくるわけです。
―― 私たちは「三権分立」と言葉では言いますけれども、その根本が全く日本には浸透していない。つけるべきケジメが全くついていない。それを痛感するお話ですね。
團藤 そうですよ。
ただその壊し方ですよね。今回の裁判員制度も、それがただただ破壊的な壊し方になってしまってはしょうがないわけで、いかに建設的に動かしていくかという・・・。
團藤 だけど逆に言えばね、破壊すれば何かできてきますよ、それでもいいんですよ。
―― そこまでおっしゃいますか?
團藤 その通りです。だから、新しいものを作るべきだということを意識し過ぎると、いじけちゃうんです。
―― いやぁ・・・感動してしまいました。
團藤 今日のこの話も、1つの民衆の声に違いない。そしてそれが現に動かしているわけですよ。今の話も発表してくれれば、それ自身がまた議論の1つとして世論に影響するかもしれない。それはおのずから判例にも影響するので、動いていきますよ。動いていかなければ、それは努力が足りないのです。
僕は動いていかなきゃ安定しないと思うんですよ。
―― 何で「動かさなくなっちゃって」るんでしょうか・・・。
團藤 不勉強。不勉強に尽きます。
團藤 自由な人だと思ったね。
―― トマス・アクィナスが、ですか。
團藤 ええ。自由だな、と。みんなで議論をするのだけれど、大げんかになっちゃってね。毎日毎日けんかをするから、とうとうみんな追い出しちゃった。追い出して、1人でさっそうと歩いてローマに行っちゃったりね。
團藤 それと先ほどの話と、全部繋がっているわけ。
團藤 全くです。ただね、本当の権威者ということは、優に基礎に尽きます。物事の価値は水面下の部分の深さにあります。表面は同じようでも、水面下にどれだけ蓄積を持っているかで、その価値は質的に違うのです。理科系などの学問でもそうでしょうが、法学のような総合科学は、特にそうです。これは大切なポイントです。
團藤 そう、朱子学を中心にしたそういう言葉だけの解釈が主流を占めていた。ところがそうじゃいけないということを言い出したのが、陽明学ですよ。陽明学は革命理論で、動く実体を考えるから『四書五経』の解釈でも「表面はこういうことを言っているけど、実際はそうじゃない」というように変化があった。僕は陽明学とはいろいろ縁があってね。生まれは山口ですが、山口はそういう気風があったところで。
團藤 その通りです。僕は国は岡山なんですよ。
團藤 山田方谷はこうした姿勢でしたから、初心者の弟子たちが「先生、ぜひ陽明学の講義をしてください」と言っても「今は君たちにそういう話をする時期じゃない」とね。「最初は字句の解釈を一生懸命考えろ」と。「そのうちにいろいろ疑問に突き当たるだろう。それで最終的な問題が出てきたら、そこから陽明学なんだ」と、そういうことを言って応じなかったんですよ。
團藤 ええ、熊沢蕃山。しかも、僕の住んでいたうちが、熊沢蕃山の屋敷跡だというんですよ。
團藤 大塩平八郎だって、バカにする人はバカにする。ひどいもんですよ。でも、彼の書いた『洗心洞箚記』を読むと、大塩の決起が限界まで思考した末のことだったとよく分かります。
團藤 そんなふうに言ってもらえると、とても嬉しいですね。現役の連中は、陽明学なんてもう古くて使い物にならないと思っているのが大半ですが・・・。
團藤 (團藤淑子夫人を指しながら)これの外祖父が佐藤一斎(1772〜1859、美濃・岩村藩士の儒学者)の信奉者でね。一斎先生、中斎先生と言ってね。
團藤淑子夫人 ええ、母方は若林というんですが、特に大塩さんの大ファンなの。
團藤 ええ。先ほどの大塩中斎の『洗心洞箚記』が、僕が法律を考える原点ですから。大学に入って最初に図書館で借りて読んだ本が『洗心洞箚記』。
團藤 本当に嘆かわしいんだけどね。一番大切なことは、既にあるものを疑う姿勢です。陽明学は革命思想だからね。本当の反骨精神を若い時から養うのが、とても大事なのです。
團藤 本当は法律の中に、陽明学も、ローマ法も、その本質が入っているわけですが、そういうふうに深めないで、ただ細かくするだけで。
團藤淑子夫人 昔は大学というのは、ちゃんと本物の学問を勉強するところでしたけれどもね。職業に関係なく、自分の勉強をするところだったんですよ。何も学者じゃなくて、普通の学生が。今の人は、会社に受かるためのアレじゃないですか。
團藤 その通りですよ。基礎のない実務家教育なんて、セミの抜け殻みたいなもんです。
團藤淑子夫人 法学の先生でもね、一番最初に、一番いい先生につかないといけないでしょう。
團藤淑子夫人 最初が一番大事で、本当は大学より小学校の先生の方が大事だと思うの。
團藤淑子夫人 一審が大事ですよ。最初に一番いい人を置かなきゃ。
團藤淑子夫人 主人は以前、一審強化というのを前にしていたんですよ。ずいぶん力を入れて、ねぇ。
團藤 そうだったね。
―― いや、この頃は学者も学問政治で出世したい人ばかりです。学部長になりたいとか、紫綬褒章が欲しいとか。
團藤淑子夫人 本当?
團藤淑子夫人 そう言われればそうね。 軽井沢に来られても、話が全然合いません。いい時に生まれたと思うの、主人は。
感激に堪えぬ。
わが国の歴史を代表する超一級の研究者ですよ。<彩佳ちゃん