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〈専門家への疑問符〉考(第三回)

露伴は文学博士であるものの、幸田博士と呼ぶ人は皆無である。つまり、博士はよけいなのである。

 露伴には雑学的というべき特色はあるが、今日の専門家がする学問に較べて、より全体人間的であり、人生万般的な知識の所有者であった。しかも、近代的細分化される以前の知識風土において、その時代が思索しておかねばならない対象をとらえ、直観力を持ち合わせ、物事の帰趨を決めつけずに限界をはみださない〈反措定〉という節持を自らに課していたといわれる。

「完全さに達するのは、学ぶ者のなしうることではない」とゲーテは言葉を残しているが、これを晩年の負け惜しみととらえるほど私はひねくれていない。

 卑近な人生の場面から形而上的な理念の探究――それはたとえば「運命」と呼ぶしかないようなものを含んで読者に迫る。露伴に體系や方法といったものがないのではなく、人が生きるための體系と方法が横たわっている、と山本健吉は抗議した。

 「鴎外とか露伴といふ明治己来三代で嶄然と衆峰を抜いた大文士の作品を読んでごらん。日本だけの精神生活の高み深みがこの二人に極まってゐると思ふでせう。しかしこの外にも近代を象徴する詩文はいくらもある。おしくるめて、人めいめいその立場を妥協せずに、書いて、生きて、愛した人達のものが歴史に光って残るのです」

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