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第10講:日本の多層・多神教の心象風景

 しかし,一神教と二項対置させ多神教をとらえるのは,元来,一神教側からの見方だ。安直に日本を多神教の国と見るのはいかがなものか。多神的であると同時に,歴史を通して幾重にも宗教的なるものが埋め込まれ,積み重なり多層的な姿を形成している。すなわち,日本の宗教的な風景は多層・多神教的な姿の上に立っている。

 多層・多神教の風土では,宗教の習合は必然に近いものとして受け入れられる。そして歴史の濾過(ろか)を通して深層意識にまで降りるので,そこで生活する人々にはホトケ,神々の来歴は表面意識で明瞭に自覚されることは少ない。

 一方,一神教の風土では,それぞれの宗教,宗派の当事者たちは,自らの宗教,宗派の正統性を主張するあまり,自分たちと相いれない宗教,教義,説話,来歴は消し去ろうとする。末梢されるがゆえに,神々の来歴は人々に記憶に留まることは稀である。

 昨今,「ダイバーシティ」のあり方がマネジメントでも頻繁に議論されるようになっている。ダイバーシティとは,違いを受け入れ,尊重して,活用していくこと。そこでは,「かくあるべし」と画一的なものを強要するのではなく,それぞれの個性や特徴を尊重し,多元的なスタイルを共存させていくことが求められる。


 とすると,日本の多層・多神教の心象風景には,一神教世界に比べて,元来,豊かなダイバーシティ・マネジメントの土壌がひろがっているのである。ダイバーシティ・マネジメントの基本は多様性や多元性を認め、重複と冗長性を許容することである。