https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

やれば出来る

 政治家が自分の言葉で語るようになれば、ムキになったり、言葉足らずになったり、閣僚同士の意見が食い違ったりする事は大いにありうる。むしろそれこそが本当の国会の姿である。ところがわが国のメディアは官僚に洗脳されているから、すぐに言葉尻を捉えて「閣内不一致」とか「発言に矛盾」とか瑣末な批判をする。政治が変わったのに民主主義とは対極の官僚思考から脱却できない新聞とテレビは大いに問題である。

 官僚が振付けて政治家が踊っていた時代は途中経過が見えなかった。途中経過で主役を演じているのは官僚だから、裏舞台を国民に見せる訳にはいかない。しかし政治家が主役になると途中経過も見えてくる。政治の途中経過には紆余曲折があり目的地に一直線に進む訳ではない。何を決めるにも敵が至る所にいる。そのため右に行ったり左に行ったりしながら最後の最後で目的地に着陸する。その過程を大局も見ずに批評していたら何が何だか分からなくなる。今のメディアはその蟻地獄に嵌っている。

議論の中身は今のところお粗末である。責任の多くは野党にある。攻めるポイントがうまくない。どのみち予算案がまだ出来ていないので本格論戦にはならない。そのため民主党の選挙マニフェストを俎上に乗せている。しかしこれはすでに選挙で決着がついている。攻め方によっては負け犬の遠吠えに聞える。同時にこれから実現していく話なので、それを批判しても始まらない。「実現できるか」、「4年間で実現する」という応酬にしかならない。

故人献金問題は東京地検が捜査中だから、その推移を見守るしかない。それはこれまで攻められる立場にあった自民党は良く分かっている。国民の印象を悪くさせるだけが狙いである。ところが悪徳企業や外国から金を貰ったならともかく、大金持ちが自分の金を政治活動に使うために虚偽記載をしたという話で、国民の憤りはさほどでない。

大体この人事を「天下り」と批判するのは余りにも幼稚である。なぜなら「天下り」が問題なのは、第一に官僚の人事権を政治家ではなく官僚が握ってきた事、第二に国民から預った税金をその人事に関して無駄遣いしてきた所にある。

 従って政治家が官僚の人事権を握り、人事配置をする事に何も問題はない。その人事が不適切であれば国民は政治家を取り代える事が出来る。