不況時には財政政策の助けによって失業問題を解決できるというケインズ主義を世界中の研究者に説き明かし、60年代のケネディ政権など戦後の先進国による「大きな政府」路線の理論的支柱を築いた巨匠だ。
70年にノーベル経済学賞に輝き名声は頂点に達した。ところが、世界経済は70年代以降、高インフレや経済成長の停滞に悩まされ、ケインズ主義者は有効な対策を提唱できなくなって批判されていく。
だが、サミュエルソン氏が経済学の表舞台から消えることは決してなかった。MITの教壇からは、大恐慌の研究で第一人者となったバーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長、後にノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ米コロンビア大教授とクルーグマン米プリンストン大教授という世界的エコノミストが育っていったのだ。
ただ、サミュエルソン氏は生前、ケインズ主義を宗教のごとく神聖視する「空想的な社会改良家」を批判し、政府の機能が拡大しすぎる弊害も指摘していた。危機の出口を迎えた今、オバマ政権は過去最大の財政赤字と10%の失業率への対処に悩まされている。「政府と市場どちらが欠けても、公共の福祉を実現できない」(米紙ニューヨーク・タイムズ)という氏が残した言葉の意味を、かみしめる時期といえる。
講演の後に走り寄って、著書にサインを頼んだら、こちらの顔をジロリと見てこう言った。「経済学は厳しい学問なのですよ」。
経済学の巨人が得意とした技は数学である。フランスの化学者ルシャトリエの熱力学の理論を、若い学生時代に熱心に学んだそうだ。国際貿易から金融、成長論、市場投機まで、あらゆる経済現象に自然科学の光を当てて、今日の経済学の足場を築いた。
その数学を駆使した金融工学を、晩年に激しく憎むようになった。金融危機の直後に「悪魔的でフランケンシュタインのような怪物」と語っている。生き物のような経済の正体に迫ろうとした教授は、自ら育てた子供に裏切られた気持ちで去っていったのではないか。