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【正論】宗教学者・山折哲雄 「多神教」システムと政治の安定

私はかねて、民主主義という政治システムにもっとも適合的な宗教システムが多神教というものではないかと単純に考えてきた。というのも多神教こそ、それがどの文明圏に発生したものであれ、多元的な価値を前提に多様な人間集団を結合する宗教システムとして機能してきたのではないかと思っていたからだ。


 ところが、それにたいして宗教世界の一神教は、ご承知の通りただ一つの神を信ずる宗教のことだった。キリスト教イスラム教はそのような一つの神を超越神とか絶対神と呼んで、地上的なものとは隔絶する価値をもつものとみなしてきた。

 おそらく、そのためだったのであろう。私の常識的な感覚では、このような一神教は政治の領域における専制支配や絶対君主制と対応するように映っていたのである。なぜなら超越神が全宇宙を支配しているように、この地上世界をいわば民衆の頭ごしに超越的に支配しようというのが専制支配であり、絶対君主制であるようにみえたからだった。要するに、一神教とは、宗教の世界における独裁体制だったのではないか、と。

 ところが、である。私には歴史の皮肉としか思えないのであるが、まさにその一神教的な土壌から産みおとされたのが、あのデモクラシーという近代のもっとも洗練された政治体制だった。イギリスの民主的な議会政治もフランス革命の急進的な民主主義も、みなこのような一神教的な風土の申し子だったのではないか。


 なぜそうだったのか。ヨーロッパの歴史を語るときにしばしばいわれることであるが、近代以前の多元的な政治主体は、既得権力や利権とふかく結びついていた。それは一面でたしかに多神教的に割拠する形をとってはいたが、いわゆるデモクラシーとは似て非なる政治体制をつくりだしていた。そして、そのような権力や利権の源泉を打ち砕くためにこそ、たとえば絶対君主制のような権力が必要だったのであり、一神教のような超越的な権威が重要な役割を演ずるようになったのだ、というわけである。

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心の翼

悲しいと思うあまりに、彼らのこれまで歩いてきた道程やいま立っている場所までも否定することはしたくない。
これから彼らが歩いていく道も、涙ではなく花で飾られた道であってほしいと思います。
だって中継のモニターで見るゆみこちゃんは、本当にいつもどおりの、優しい笑顔を見せてくれていたから。
踊り終わって両隣のかなめ姫とらんとむに向けた笑顔も、すごく優しくて温かかったから。
その優しさと強さを、客席で少しでも受け止められる観客でありたい。
不遜きわまりないですが、そんなことを思いました。