https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

【ちょっと江戸まで】法政大学教授・田中優子 寺子屋の教育取り戻せ

絵を見て驚くのは、寺子屋は、そもそも学級崩壊しているという事実だ。いや「学級のまとまり」という概念がないのだから、崩壊もない。なにしろ子供たちは先生を見ていない。今の学校のように机を整然と並べて全員が黒板と教師に顔を向けている、などという事例は皆無。子供たちは入学時に持ってきた自分の机を自分の好きなところに置き、めちゃくちゃふざけながら勉強している。とても楽しそうだ。

 教科書は出版社が刊行している「往来もの」を使う。往来とは手紙のことで、手紙の様式を覚え、手紙文を通して読み書き能力を獲得する。最初に身につけるべき能力が手紙文だということはコミュニケーション能力が重視されている証しである。教科書は往来ものや算術など何種類かあり、それらを個々の生徒ごとに組み合わせる。つまり寺子屋教育とは個人教育なのだ。個人教育が集団教育に変わってゆくのは、近代の学校制度になってからである。

 武士の子弟は町中の寺子屋ではなく、藩校漢学塾で学んだ。読み書きや四書五経を学ぶわけだが、「学問とは何か」もたたきこまれる。学問とは、生活技能を身につけることではなく、思想を鍛えることであった。それは高等教育機関であるに進めばなおさらである。庶民でも武士でも、さまざまな方法で学問にいそしんだ。つきたい師がいれば入門し、住み込みで学んだ。塾は数が少なかったが、寺子屋は町や村に増えていった。村には複数の寺子屋があり、江戸の中心地であれば女子のための寺子屋もあった。教師はほとんどの場合、別の収入で生活の基盤を持っており、その上の寺子屋経営であったから、束脩(そくしゅう)と呼ばれる謝礼を払えなければ、それはそれでよかったようだ。

漢字漢文を基礎とした思想と教育の原点を見つめ直す時期に来ている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091227#1261924401
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091130#1259541794
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091025#1256462177
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090723#1248297285
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090404#1238832339
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20081018#1224282726
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080415#1208215141