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統帥権干犯問題

民政党優位に政治状況を崩そうとしたのが政敵の政友会であった。すなわち、田中義一の後継として1929(昭和4)年に政友会総裁となった犬養毅(1931年に政友会内閣を組織したが、1932年の5・15(ごういちごう)事件で暗殺される)らは、ロンドン条約の締結は軍令部を無視しており、統帥権の干犯であるとして、民政党攻撃に出たのである(政友会は1935年の天皇機関説排撃においても右翼とともにその運動の中心的役割を担った。また日中戦争開始にさいしても全面協力を表明した)。

「すでに統帥権は発動をみたのに干渉するか」

言論統制下にあったメディア(新聞)は、陸軍の発表のとおり「奉天兵の計画的な柳条溝の満鉄線爆破」との見出しでこれを報じた。もとより外務省の電報記事は紙面にはなかった。一方的な軍の情報の垂れ流しである。もとより国民の大多数は新聞報道の軍発表を鵜呑みにした。いわゆる大本営発表である。国民のほとんどか、軍の偽りの発表をただただ流すメディア報道で誤った認識をもって侵略戦争へと突き進んでいくのであった。