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一灯照隅、万灯照国。
安岡正篤一日一言に学ぶ

学問は早年より中年に進むに随って、修徳の学(心に道徳性を修める学問)に時務の学(時々の問題について身につけなければならない学問)を加えくるべきものであって、みだりに本末先後を謬(あやま)ってはならない。


時務の前に、人間としてどう生きるかという道徳を修めなければ駄目だ、ということです。今の日本には時務が出来る人は沢山います。だから仕事そのものは出来る。しかし、道徳を修めた人はほとんどいません。だから仕事の方向性を間違える。これでは日本はいつまで経っても善くなりません。

天地は悠久である。造化は無限である。したがって、人間も久しくなければいけない。物を成してゆかねばならない。それは仁であり、忠であり、愛であるが、それを達成してゆくものは、忍である。

人間は俗生活をしておればおるほど、その中に俗に動ぜざるもの、俗に汚れざるものがなければならない。それで初めて俗を楽しむこともできる。

宇宙人生は天の自慊(じけん)的創造である。自己を実現しつつある努力である。
この絶対自慊にして、何等他に俟つ所を求めない生々化育の努力を「誠」と謂う。
誠は天の道である。誠に由(よ)って萬物があり、誠がなければ物もない。人は、此の誠に由って生き、禽獣と異なって自覚を生じ、誠の誠なる所以を体認して之を発揮するようになる。
これを「誠之(せいし)」といい、所当然の道とも謂う。

然し我々は次第に天地人間から分隔して(これも実は偉大な創造分化なのであるが)己私に執着して誠に叛(そむ)き易い。その為に折角の性を傷(そこな)って天と断つの不明に陥った。
そこに諸々の悪が蔓(はびこ)る。「唯天下の至誠のみ能く性を尽くすことを為す」である。

内訟とは自分の煩悩を自分の良心に訟(うった)えることである。

人間は進歩しようと思えば、統一がなければならない。教育とは何ぞやと言えば、つまるところは先輩・後輩と長者・少者の連続・連結の役目をなすものでなければならない。
要するに孝という字は、単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなくて、親子、老少、先輩・後輩の連続・統一を表わす文字である。そういうことを知って孝経や論語を読むと、限り無い教訓がその中に含まれておることがよくわかる。

器量は多くの人間を包容できることだが、これもただできるだけではダメで、それをちゃんと是非善悪を見分けて使いこなしてはじめて本当の器量と言えるので、それのできる人を大器量人というわけである。

われわれが覚らねばならない事は、自分というものをお留守にして、ただ他力本願正しい意味の他力本願ではなくて、俗にいう人のふんどしで相撲をとるという他力本願、自分は何もしないで外に求めるという態度ではだめであります。まずそれぞれが己みずからに反って、せめて自分の分野、これを一隅という、これは伝教大師の言葉です。自分が座っている、存在しているその場所、片隅でも自分というもので明るくする。私はこれを「一灯照隅行」、自分が一つの灯になって一隅を照らす行と申しまして、自分が自分の一隅を照らしてゆこうというのであります。
これがわれわれが敬慕してやまぬ維新の志士たちに実に鮮かに実践されて、立派な明治維新というものが大過なく行われたのでありますが、それをわれわれがやること、これより他に解決する道はないと私は思うのであります。

とにかく、自分の問題として自分の場に於て自分が自主的積極的にやる。それを本当に優れた人が高い立場からやってくれれば、一隅どころじゃない四方を照らします。たとえば総理大臣というような人が発憤して、総理大臣の隅を照らしたならば日本は一遍に明るくなる。ところがあっちにさしさわり、こっちに何とかとヨタヨタしておったら日本は暗黒になる。一県の知事が慨然として、日本はどうあろうともおれの県は模範県にしてやるんだと立ち上がったら日本は明るくなる。これはむしろ内閣総理大臣になるよりは、この頃だったら県知事になった方がいいですね。
立派な復興をした西ドイツと日本との相違は、ドイツ連邦、十一州がありましてこの知事がみな非常にしっかりしておった。連合軍は州まで干渉することができない。これがドイツ魂を失なわずに、つまらない占領軍による被害をできるだけ少なくして、しっかりしたドイツを復興するのに大変役に立ったのです。
県で行われなければ市でもいい。町でもいい。幕府が頽廃したけれども明治維新があんなに立派に行われたというのは、いろいろ歴史哲学者が議論しておりますが、第一に恵まれたことは、大小二百六十余藩があって小日本を作っておった、それが集まって大日本を作っておった。中央の江戸幕府、江戸侍が堕落し、文化地帯がいかに頽廃しておっても、田舎の藩、田舎侍のエネルギーと見識教養というものが厳としてあったが為に、猛然として起って明治維新ができたのであります。
なおまた苦労人はこういうことをいっております。あの頃に日本の女性がだめだったら幕府はもっと早く亡んだだろう。ところが徳川幕府を通じて野郎共は堕落してしまったが、武士の娘という教育があった。これは実に立派なもので世界無比といわれる。この武士の娘という教育を受けた婦人たち女房たちの力、つまり道徳的教養、烈々たる力とゆかしい精神、これあるによって武士階級が三百年もった。これをつきつめれば徳川三百年を通じて、儒教とか仏教とか神道とか国学とかいろんな道徳的学問的教養というものが実によく浸透しておった。これあるによって日本は明治維新ができたということになるのでありますが、現代もやっぱりそれをやるよりほかはありません。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110317#1300335488
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110320#1300625114