1先日の台北での講演で、日本近代化革命としての明治維新を相対化することで維新後150年の日本近代化の特質は顕わにされるといった。これは歴史修正主義者が支配する日本にとって大事な思想作業だ。だがこれは明治維新をアジア近代化の先駆的革命として評価する近代主義者の許さない思想作業でもある
— 子安宣邦 (@Nobukuni_Koyasu) 2019年3月24日
2 私は台北でも日本の近代主義者と同様な反論が出ることを予想していた。予想通りに最初の質問者(歴史学者)が滔滔とアジアにおける近代化革命としての明治維新の歴史的意義をのべたてた。あたかも日本の近代主義的歴史家の講義を聞くようであった。それは質問ではなく自説の開陳であった。
— 子安宣邦 (@Nobukuni_Koyasu) 2019年3月24日
3 明治維新をアジアにおける近代化革命の先駆とする近代主義的歴史観は日本だけではないアジアで共有されているのである。私は台北で先ずこの歴史観と抗争しなければならなかった。恐らく私が北京で同じ趣旨の講演をしたら、同じような反論を受けることになるだろう。
— 子安宣邦 (@Nobukuni_Koyasu) 2019年3月24日
4 そして私が第二に予想していたことは「日本近代化」といえば丸山理論が必ず引き合いにだされるだろうということである。これも予想通り、あるいは予想以上であった。若い大学院生たちの質問は丸山の近代・近代化(市民社会)論にかかわるものばかりであった。
— 子安宣邦 (@Nobukuni_Koyasu) 2019年3月24日
5 私の「日本近代化再考」という論題自体が丸山批判を意味していることを彼らは読み取ることはなかった。21世紀の近代国民国家のグローバル的危機というべき時代に丸山ばかりをいい続ける時代錯誤を叱って私は質疑を打ち切った。しかしこれは台湾だけの現象ではない。中国でも、韓国でもそうだろう。
— 子安宣邦 (@Nobukuni_Koyasu) 2019年3月24日
6 もし北京で私が「近代化」の話をすれば、質問は丸山をめぐるものばかりであるだろう。これがすでに東アジア知識人における近代主義的誤謬というべき危機である。
— 子安宣邦 (@Nobukuni_Koyasu) 2019年3月24日
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