華のお江戸に寄せる祇園祭の京都からのメッセージ(財団法人祇園祭山鉾連合会理事長 深見茂)
祭行事の生活を通じて、物知らぬ少年の頃から既に、人生の真の価値と理想とは、美と神遊びの中にのみある、という考えを、教えられることもなく、体験として身につけて来ました。
講義 7: 祇園祭山鉾行事と祇園祭山鉾連合会について(pdf)
なお、祇園社の祭神はヒンズー教の神、牛頭天王(ごずてんのう)、八坂神社になってからは、日本神話の神である素戔鳴尊となっております。いずれも、怒りと災厄の神です。
次に、近代における第二の、それも決定的な危機が訪れます。それは明治31 年、京都市政が自治権を獲得して独立したことによります。すなわち、それまで町中に委託されていた、先ほど挙げましたような、行政上の諸権利がことごとく京都市によって剥奪され、「町中」は「公同組合会」という名称に変わります。さらに、こうして諸行政権を手中にして巨大化した京都市の有給の官僚体制を維持するための課税が、町衆の上にのしかかって参りました。そして、この納税業務を請け負わされたのが、実にこの「公同組合会」であったのです。
一言で申せば、輝かしき日本近代化、中央集権化の生贄となって、町中はその法人格をほぼ完全に喪失し、町衆は単なる課税の対象と化したのであります。
近代第三の、そして最後の危機は、第二次世界大戦と、その敗北であったことは容易にご想像頂けましょう。「公同組合会」は、大政翼賛会指導のもと、昭和15 年(1940)、「隣組(となりぐみ)」と名を変え、国民統制のための末端組織に堕落してしまったこととも相俟って、敗戦の混乱は、単に政治的、経済的なものにとどまらず、町衆の、そして又、日本人の従来の価値観を根底からゆるがせたからです。
中村敦夫という政治家の言葉であります。(『子どもたちの八月十五日』 岩波新書 より)
「江戸時代から日本はお上の国だった。しかし当時のお上は各藩の藩主であり中央政府ではない。そして藩の下には無数の地域共同体がそれなりの自主性をもって呼吸していた。自分たちの生活についてはある程度の地域の自主志向が残されていた。こうした共同体的主体性が失われたのは明治維新以降である。日本は近代化を急ぐあまり強権的な国家主義路線を選択した。中央集権を強化させるために個人や地域の自主自立性を徹底的に抹殺した。人々はつかみ所はないが巨大な権力を行使する国家、つまり新しいお上の影におびえ、次々と主体性と自己決定権を放棄してきた。だからお上の始めた戦争に関しても責任を感じないし、その是非についても考えもしない。主体性の放棄は思考停止を生み、今日でもその状況は続いている。」
京都におきましても、日本国家の近代化と中央集権化は、かつて活発な市民生活を展開してきた市内中心部の町衆の「自主自立性を徹底的に抹殺し」てしまいました。にもかかわらず、その町衆の精神が支えてきた祇園祭山鉾行事のみは無傷で町衆の手に生き残ったという事実を、いま引用しました文章の趣旨に沿って考える時、その象徴的意義は重要です。すなわち、祇園祭山鉾行事こそは、京都市民がかつては行政的諸権利を保有し、自主性と自己決定権とをもって自律的精神生活を営んでいたことを人々に、?想起させ、市民が今日もなお潜在的にその能力を備えていることを?保証し、将来その能力を社会的政治的に顕現させ得る?希望を与える、これら三点を象徴する民間行事として我々の手に委ねられたのである、と考えられるからです。
これが、祇園祭山鉾行事を日本国民の文化財として維持継承してゆこうとする、祇園祭山鉾連合会の責任感と使命感とを支える精神的支柱に他なりません。