https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

失われた15年で明らかになった リーダー不在は政界だけの問題ではない|出口治明の提言:日本の優先順位|ダイヤモンド・オンライン

 ところで、このような、いわば、けた外れの政府・日銀の支援の結果、わが国の経済や企業はどうなったのか。


 実質GDPの伸びは3極の中では最も低く、加えて企業の市場価値を象徴する株価は約半分の水準まで落ち込んでしまったのである。

 このような「惨状」に対する評価は大まかに言って2つに分かれる。

 一つは、政府・日銀が財政・金融政策を小出しに、しかもタイミングを誤って実施してきたため、日本経済はデフレ・円高の悪循環に落ち込んでしまったとする見方である。


 経済学者には、あまり賛同者は見当たらないが、財界や政界のいわゆる主流派(現状維持派、あるいは既得権者)には、こうした見方をする向きが結構多いように見受けられる。

 もう一つは、政府・日銀の行動は100点満点とは言えないものの、60点はクリアしてきた。すなわち、それなりの時間稼ぎの効果はあったものの、その間にわが国の企業が為すべき構造改革を怠ってきたとする見方である。


 経済学者や構造改革を強く志向する人に比較的賛同者が多いように見受けられる。

 米国の企業と比べた場合、誰しも世界から優秀な人材をかき集める米国の大学の強靭な競争力や、ベンチャー企業ベンチャー精神のたくましさ等を直ちに連想して、米国の企業には勝てないと決め込む向きが多いように思われる。


 しかし、老大国である欧州の企業にも勝てないのはなぜだろうか。


 そう考えてみると、経営者、すなわちリーダーシップの問題が大きいことに気づかされる。


 企業は人である。そして、今日の企業の多くが大規模な組織を構えている以上は、前線の兵士の優劣ではなく、リーダー、すなわち経営者の資質が何よりも重要となる。すなわち、企業は人であり、企業は経営者なのだ。

 私見では、欧州はコーポレートガバナンスを重視し、企業経営陣の多様性を推進することに熱心である。その象徴が女性の登用ではないか。女性役員の割当制(クオーター制)はノルウェーを始めとして、スペイン、フランス、ベルギー、オランダ等ではすでに法定され(30〜40%の登用義務)、EUEU全域を対象にした法案の検討に入ったようだ。


 米国、ドイツ、フランス、英国では、女性役員比率が2010年ですでに10%を上回っているが、わが国では主要500社の女性役員比率はわずか0.98%でしかないという(8月18日日経夕刊)。外国人の役員比率はおそらくもっと低いだろう。

 こうした経営陣の多様性のなさ、すなわち同質性の高さが、構造改革を拒んでいるのではないだろうか。わが国企業の経営陣は青田買いで採用され、そのまま年功序列で純粋培養された高齢の男性が主な担い手となっている。こうした役員構成はゲームのルールが誰にでも明らかな時期(典型は20世紀後半の高度成長期)には滅法強いが、米ソの冷戦が終結し、中国やインドが市場経済に参入してきて、ゲームのルールがそれまでとは本質的に異なるようになった90年代以降の大変革期には、なかなか対処しきれないのではないか。すなわち、年功序列社会で固く培われた同士愛的な成功体験が目をくもらせているのである。


 象徴的な一例を上げよう。円高の都度、財界のトップは市場介入を当局に強く要請している。為替の自由化が始まった80年代ならともかく、それから30年近くが経った現在でも(しかも上場企業は11年3月期には営業利益の8割を海外で稼ぎ出しているのである)、税金によるFX(市場介入の実態)を財界のトップが当局に求めているのである。この30年間、為替の変動について何も学ばなかったと言うのだろうか。


 また、上場企業はこの6月末で62兆円の手元資金を有しているという(8月21日日経朝刊)。これだけの手金がありながら、たとえば円高を利用して外国の企業を買収する等、なぜ自ら積極的に動こうとしないのだろうか。


 為替の自由化から30年近くの時間を要しながら、今に至ってもお上に税金でのFXを要請するような諸外国には例を見ない経営トップの思考パターン(高度成長期とまったく変わらない精神構造のあり方)こそが、失われた15年をもたらした最大の元凶ではないのだろうか。そうであれば、国をあげて、リーダー層の多様化を図る以外に道はない。

 このように考えてみると、この15年間の間に真に失われたのは、グローバル経済の大きな変化に対応して、企業の体質を抜本から構造改革するための貴重な時間だったのではないか。とどのつまり、わが国は時間との競争に敗れたのである。