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司法官僚による「市民感覚」の謀略 - 小沢有罪への道

最早、「青年将校の暴走」の懸念どころではなく、皇道派ではなくて統制派が仕切る段階に到っている。

五十嵐浩治は、控訴審で判決が覆っても自分のコメントは変えないとまで言い切った。朝日新聞の9/27の社説も同じだ。呆れ果てる。

新聞と戦争

新聞と戦争

「私が小さい頃、祖父が口癖のように言っていたのを思い出します。朝日の論調が変わったら気をつけろ、と」。


この一文から始まるのでそれは徹底的に自分たちが書き散らした記事について痛烈な自己批判・総括が行われるものだと期待して頁をめくっていくと本当にガッカリさせられます。てっきり580頁もあるので、当時の新聞記事を歴史的資料として、この記事とこの記事が悪かったとそのまま転載して、そのうえで背景を分析、どこかどう間違っていたのかという具体的批判が行われるのかと思いきや、そこはおざなり。こんな記事を書きましたというだけで当時の威勢のいいスポニチ真っ青の見出しなどの資料が添付されていないために、「こんな考えをもっていた記者もいたのですが、結局だめでした」といった自己擁護がだらだらと続いているだけ。この程度の反省しかできずに今後、朝日新聞は堂々とうしろぐらいところなく民主と自由のためにペンの力でもって戦い続けられるのかと非常に暗い気持ちになりました。


少なくとも世論を煽りに煽って戦争突入への「空気」を作り出したのは、そういう記事が「売れた」という身も蓋もない事実、戦争で焼け太ったということを書かなければ説得力ゼロであります。


もしも、この手を手に取ろうと迷われている方がいらっしゃるなら『太平洋戦争と新聞』(著)前坂 俊之 をお勧めいたします。

太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫)

太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫)

 満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいく日本の中にあって、いかに新聞がその良心や独立を失い、検閲や法令によって政府を支持するだけの論調に変わっていったか、その経緯を追い、論証した一冊。
 近代社会にあって、第四の権力といわれるマス・メディアのあり方を考える上で極めて示唆的な事例である。今日の我々にとっても、他人事ではない。多くのメディアはスポンサーの意向で報道に制限を受けているし、○○新聞は政府の御用記事ばかり、□□新聞はとにかく政府の揚げ足ばかり・・・というようにメディアにはバイアスはつきものである。
 我々個人がいかにしてメディアと付き合うか。いかにして情報を得て取捨選択していくか。情報のあふれる今日だからこそ考えねばならない課題である。

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