専攻は日本政治思想史。
マックス・ヴェーバーの影響を強く受けた学者の一人であり、近代主義者を自称し、それまでの皇国史観とは異なる、西洋哲学と社会学を土台とした学術的な日本政治思想史を論じた。
「講座派」の思想に影響を受ける。
明治時代の思想はデモクラシー(民権)とナショナリズム(国権)が健全な形でバランスを保っていたと評価し、特に福澤諭吉を日本近代を代表する思想家として高く評価
戦後日本を象徴する進歩的知識人の一人であった。
逮捕されて拘置所に送られたとき、「不覚にも一睡もできない拘置所で涙を流した。そのことが日ごろの『知性』などというものの頼りなさを思い切り私に自覚させた」といい、「軍隊経験にまさるとも劣らない深い人生についての経験」だったと述べた。
丸山は元々は、父と同じジャーナリスト志望で、東京帝国大学に残る気はなかった。
思想史のほかにも文学や映画、音楽などに造詣が深かった。
丸山は戦後日本に大きな影響を与えた人物ということもあり、様々な立場から批判がなされている。
マルクス経済学とウェーバー社会学を基礎に「近代」を担うべき人間について考察を深めた。大塚はイギリスを近代と民主主義のモデルケースと考え、独立自営農民ヨーマンがその発展を支えたとした。大塚の背景には日本の民主主義が、特にその担い手となる自由で自立した市民が未成熟であったことの反省があるといわれる。
戦後民主主義はしばしば戦前の大正デモクラシーと対比して使われる。この言葉は様々な文脈で用いられているが、「戦後民主主義」を説明する学問上の定説はまだ存在せず、その含意も使い手によって千差万別といってよいほど異なっている。ただし、戦後民主主義が尊重した共通の価値として、日本国憲法に示された国民主権(主権在民)、平和主義、基本的人権の尊重が挙げられるだろう。その点で、戦後民主主義は日本国憲法を背景にしていたと言える。
いわゆる進歩的文化人とかなりの部分で重なり、戦後民主主義のオピニオン・リーダーと目される人物には、丸山眞男、川島武宜、大塚久雄などの学者がいる。
「戦後民主主義や近代立憲主義によって、日本人は共同体意識に根ざした良心を失い利己主義に走り、家父長制や純潔主義などの伝統文化も破壊された」との主張が保守的な論者から唱えられている。
こうした論者は、戦後民主主義をしばしば「左翼」として批判する。確かに戦後民主主義は「左翼」と呼ばれる社会民主主義者や共産主義者の支持を受けている。しかし、戦後民主主義の支持者は、必ずしも社民主義や共産主義に賛同している訳ではなく、自由主義を支持している者もいる。
「戦後民主主義」という言葉の定義自体が革新勢力と保守勢力とで異なっている、とも言える。