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現代人には2つのタイプがある 人間力.com

師を選ぶとは非常に大切なことでしてね。
2年半の留学生活の中で、
一度だけチュクセン教授(ドイツ国立植生図研究所長)に
訴えたことがあるんです。


来る日も来る日も現場へ行って植物を調べ、
土を掘り続ける毎日だったので、
せっかくドイツに来たんだから
いろいろな本も読みたいし、他の教授の話も聞いてみたいと。


そうしたら老大家は、


「見よ、この大地を!
 39億年の地球の生命の歴史と
 巨大な太陽のエネルギーの下での生命のドラマが
 目の前にある。
 

 まず現場に出て、目で見て、匂いを嗅いで、
 舐めて触って調べろ! 

 
 現代人には二つのタイプがある。

 
 見えるものしか見ない者と
 見えないものを見ようと努力するタイプだ。
  

 ミヤワキ、君は後者だ。
 現場が発しているかすかな情報から
 見えない全体を読み取りなさい


と言いました。


つまり現場がすべて、見かけ上の事象に惑わされず、
本物を見ろということです。

だから、教育とは単に手取り足取り
教えることではないんですね。


堀川芳雄先生(広島文理科大学)もチュクセン教授も、
来るものは拒みませんでしたが、
丁寧に教わった記憶は一つもない。

大工や左官のように弟子はいかに師の知識を盗み取るかです。
そういうハングリー精神でもって、
初めて見えないものが見えてくる。

どんなに金と最新の技術や医学を集めても、
60億人の誰一人、千年はおろか、
2百年も生かすことはできない。


一本の雑草も、一匹の虫けらも
生き返らせることはできないのです。
まだ現代の科学が生命や環境に対して
いかに不十分かを知らなければなりません。

公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団|注目の人|No.79 宮脇 昭 先生

 農家に生まれ、雑草取りに追われる家族や近所の人たちを見て育った宮脇先生。物心つく頃から、薬をまかずに草取りの重労働から開放されたら、どれだけ多くの人が喜ぶことだろうかと考えていたそうです。


 「そんな思いから、岡山県立新見農林学校、東京農林専門学校(現:東京農工大学)を経て、広島文理科大学生物学科で植物学を専攻しました。そして、卒論のテーマに雑草を選んで『雑草生態学』を専攻したいと恩師の堀川芳雄教授に申し出ました。


 すると先生は、『雑草なんて研究しても、一生日の目を見ることはないだろう。しかし、あまり人が取り組まない分野だから、もし本当にやりたいのなら生涯を懸けてやりたまえ』とおっしゃいました」


 その言葉を胸に大学を卒業すると、宮脇先生は横浜国立大学の助手をしながら東京大学大学院で研究に励み、雑草の生態を追って北海道から鹿児島県まで足を運び、四季を通して現地調査に没頭。苦労しながら英語とドイツ語で論文をまとめましたが、国内の学者からは見向きもされませんでした。


 「雑草というのは、作物の後から芽を出し、作物が収穫される前に開花、結実して種子を落として刈られてしまうので、調べるのは大変です。コツコツと努力を重ねた論文でしたが、日本では当時、誰も目に止めてくれませんでした」


 ところが、遠くドイツから航空便で一通の手紙が届きました。差出人は、ドイツ国立植生図研究所のラインホルト・チュクセン教授でした。ドイツ語の論文を読んで、大きな関心を寄せてくれたのです。

 「雑草群落は、草を取る人間の活動と命を懸けて生きている植物の接点にある。人間活動が盛んになるにつれ、緑の自然と豊かな人間生活環境との境目になっていく興味深い対象だ。私も研究しているので、こちらに来てみないか」


 そのようなことが書かれていたチュクセン教授からの手紙。当時、大学助手の月給が9千円で、ドイツ往復の飛行機代が45万円もした時代でした。「来い」と言われて、すんなり行けるような状況ではありませんでしたが、チュクセン教授が熱心に掛け合ってフンボルト財団の支援を得るなどして、なんとか留学することができました。

 現地調査に力を注いだ宮脇先生。そんなある日、チュクセン教授から次なるアドバイスを受けました。


 「教授は、『雑草の研究も大事だが、雑草が生えるその土地のポテンシャルにも目を向けたい。土地本来が持っている植生を支える能力を読み取ることが大切だ』とおっしゃいました。現在の緑のほとんどは、長い間の人間活動によって土地本来の緑(森)が破壊されており、後から生えた雑草や木々で覆われています。ですから、その土地本来の植生が何であるのかを見極める必要があるのです」


 これこそ、宮脇先生がドイツに渡る2年前にチュクセン教授が世界に発表した、「潜在自然植生」の概念でした。植物の集団は、(1)人間が影響を加える前のオリジナルな原植生(原生林など)(2)人間の影響が加えられた現在の植生(ほとんどが二次林などの代償植生)(3)人間の影響を止めた際、その土地の自然環境の総和に支えられる現在の潜在自然植生、に分かれます。


 「ここ数千年来、ヨーロッパも日本を含めたアジアの国々も、家畜の放牧や農耕といった人間の営みを通じて多くの森が本来の姿を変えてしまいました。そのため、私たちのまわりで現存している植生から、土地本来の「潜在自然植生」を探るには困難を極めます。


 そのため、調査を始めた最初のうちは厚化粧の顔を見ながら下の肌がどうなっているのかを見抜くようなものになり、『現在の緑や森は忍術を使って身を隠しているみたいですね』と冗談を言ったものです。しかし、だからこそ恩師は自分の身体を測定器にして、現場に出て五感を働かせて調べろとおっしゃったのです


 チュクセン教授の教えを受けて、「潜在自然植生」の調査に励んだ宮脇先生。雑草を調べているときは、雑草以外はほとんどが自然の緑であると思っていましたが、それがみな人間活動によって変えさせられた代償植生や二次林であることを知って衝撃を受け、探れば探るほど、この理論にしたがって本物の森を復活させたいと思うようになっていきました。


 「土地本来の森には、必ず木々の群生のなかで中心になる主木(しゅもく)があります。日本における潜在自然植生の主木にはどんなものがあるのだろうかと考え始めたところで帰国を迎えてしまいましたが、まさに日本に帰るその朝、子どもの頃に神社で秋祭りの神楽が終わった明け方の空に見た、黒くて太い木の枝が夢のなかに現れました


 帰国後、さっそくそれが何であるのか、そしてどのような植生で分布しているのか調べた宮脇先生。結果、それは宮脇先生が育った中国地方の海抜400m付近に広がる、潜在自然植生の主木、常緑広葉樹のアカガシ、ウラジロカシでした。

公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団|注目の人|No.79 宮脇 昭 先生

 ドイツから日本に帰るその朝、夢のなかに現れた神社の木々。帰国後、調べてみると、それは中国地方の海抜400m付近に広がる、潜在自然植生の主木、常緑広葉樹のアカガシ、ウラジロカシでした。


 「夢を見た際、インスピレーションが働いて、『日本には鎮守の森がある』、『それは、潜在自然植生の主木であって、賢い祖先が神社を置いて守り続けてきたものではないか』と直感しました」


 調査の結果は、まさにその通りでした。四季折々の行事を通じて神社や鎮守の森と触れ合ってきた日本人の暮らし。先人たちは、神社を取り囲むように育っている鎮守の森を大切にしないとバチが当たるなどと言って、郷里の森を保護していました。


 「後年、いろいろな国際会議で日本の工業化を揶揄する学者もいろいろいましたが、そのたびに私は心のなかで『何を言っている。日本人は地域に必要な森だけは守り続けているのだ』とつぶやきました」

 本来の森が従来の0.06%まで減少していることに衝撃を受けた宮脇先生。危機感を抱いているなかで、大きな転機が訪れました。1972年、新日本製鉄所に環境管理室ができた際、「知恵を借りて、各工場の周囲に境界防災環境保全林をつくりたい」とお願いされたのです。


 「当時は公害問題が盛んに取り上げられていて、製鉄所のような大きな工場は何かと矢面に立たされていました。環境管理室ができたのも、こうした背景があったからでした」


 当時、教鞭を執っていた横浜国立大学では、公害を出す大企業を批判する学生や教職員が多かったため、最初は協力をためらったという宮脇先生。そこで、「本気になって命を懸けるのなら協力しましょう。私が植えた木が枯れないかぎり、その工場が公害で訴えられたら私が工場の側に立って裁判を戦います。しかし、もし私の木が公害で枯れてしまったら溶鉱炉を止めてください」と言って製鉄所の意志を問いました。


 「私がそう言うと先方はためらいましたが、当時の永野重雄会長、稲山嘉寛社長ほか全製鉄所のトップが集まる会議で実施を決断。最初に植樹をする予定の大分製鉄所に15億円ほどのコストをかけてフィルターを設置し、排気ガスを減らしてくれました」

公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団|注目の人|No.79 宮脇 昭 先生
公益財団法人ブルーシー・アンド・グリーンランド財団|注目の人|No.79 宮脇 昭 先生

 理屈は後でいいので、とにかく苗を植える現場に足を運んでほしいと語る宮脇先生。土に触れ、苗を1本手にすることで、子どもたちは命の尊さやすばらしさなどを学んでいくそうです。


 「どんなに科学・技術が発達しても、私たち人間は森の寄生虫の立場であり続けます。森の恵みがなければ暮らしていけないのです。そのことは、私たちのDNAに記憶されていますから、植樹の体験を通じて子どもたちは本能的に森の大切さが理解できると思います」

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131110#1384081215
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131106#1383734222