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【2020年の世界と日本】櫻井よしこ氏に聞く(上)「中華思想に凝り固まった中国が動きを活発化」 - MSN産経ニュース

 「その中でやはり日本が注目されています。そういう意味では安倍さんは宿命の政治家です。この局面でしっかりと日本の存在感を出すことが日本のためだけではなくて、アジアおよび世界のためになります。今まで戦後日本はアメリカに守ってもらうことを大前提にしていたとさっき申し上げました。大国に守ってもらっているという、心地よい温泉の中にずっと漬かってきた心許ない存在が日本だったわけです。そのような暮らし方はやはりやめなきゃいけないわけです。日本国がまともな普通の国家としての基盤をまず整えること。それは本当は憲法改正からです。憲法改正という人もいるし、自主憲法制定だという人もいるけれども、とにかく今の憲法前文をみれば、『公正と信義の国々に任せる』というような馬鹿なことを言うのはもうやめて日本国自身がまず自分の国の国民と領土・領海を基本的に自力で守るとの気概を示すことです。それによって中国に暴走を抑制させる心理を働かせ、アジアに安心の材料を与える。出来うるならばアジアの国々にさまざまな支援の手を差し伸べる。首相はすでにそのような外交を展開しています。また、自由や人権、法治、民主主義というような価値観を守ることによって同盟国アメリカとさらに協調を深めていく」

【2020年の世界と日本】櫻井よしこ氏に聞く(下)「日本ってすごくいい国。庶民を大御宝とずっと呼んできたんです」 - MSN産経ニュース

 −−2020年に向けて、日本はこれからどういう国造りをしていけばいいと思われますか


 「戦後ずっと日本の歴史を、日本人がないがしろにしてきました。日本が中国と距離を置き始めた聖徳太子の頃の歴史、なぜ聖徳太子が中国と距離を取るような決断を下したかというところから学んで、日本をもっと肯定的に見詰めて国造りをするのがよいと思います。そのためにも、その前の神話の時代からの日本の物語を読んだらいいと思います。日本ってすごくいい国です。庶民を大御宝(オオミタカラ)とずっと呼んできたんです。大いなる宝、オオミタカラ。聖徳太子の時代は6〜7世紀ですよね。あのときに十七条の憲法をつくったわけでしょ。それは統治をする人々、今で言うと政治家や官僚たちに向けた訓話ですけども、和らぎをもって尊しとなす、『和を以て尊しとなす』と。あまりにも有名ですよね。いさかうことをしてはいけませんと。けんか、対立は良くないですよと。上に立つ人ほど庶民より早く起きて働きなさい、庶民が休んでいるときも夜遅くまで働きなさいとか、賄賂はいけませんとかね。それから讒言に耳を傾けてはいけません、一人一人を公平に見てあげなさい、とかね。民のためを思って政治をしてもいさかいというものは常に起きる。大事なのはいさかいの起きたときに公正な裁判をしてあげることだと書いてあります。石が浮いて葉っぱが沈むような不公正な裁きはいけませんと」


 「一人一人の民が、大御宝が生きていてよかったと思うような世の中をつくってあげなさいというようなことを含めて諄々と十七条にわたって書いてあるわけです。昔は税金のひとつの形が労働の提供でした。労役の義務を果たすことが税だったわけです。十七条の憲法では、民は作物をつくって食べているのであるから畑仕事が忙しいときには労役の義務は課してはいけないと。冬になって農作業がないときに働かせなさいと。こういうことまでちゃんと書いてあるわけです。こういうと、『いや、そんなの紙に書いてある文言だけだ』というんです。中国人は特に」


「植民地にされたり、国を滅ぼされないためにどうしたらいいかと、明治の先人たちは死ぬほど悩んで考えた。日本人の国を守る力はどこにあるのかと考えてたどり着いたのが五箇条の御誓文でした。五箇条の御誓文は、『広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ』から始まります。これは広く会議を興してみんなで議論して決めなさいと。そこに庶民も入っています。そういえるのはその次の『上下(しょうか)心ヲ一ニシテ 盛ニ経綸ヲ行ウベシ』で、身分の上の人も下の人も心を一つにして盛んに政治・経済のあり方、国のあり方を議論して決めなさいと書いているからです」


 「第三の『官武一途庶民ニ至ル迄 各々其志ヲ遂ゲ 人心ヲシテウマサラシメンコトヲ要ス』は、官僚も軍人も、つまり政府を司っている人から庶民に至るまで心を一つにしておのおのその志を遂げて、『ああ、こんな人生つまらなかった。生きていてもしようがなかった』と思わせないようにしなさいと書いてある。その次が『旧来ノ陋習ヲ破リ 天地ノ公道ニ基クベシ』。古くなって役に立たなくなった決まり事や制度は捨てなさい、そして天地の公道とは『人類普遍の世界に通用する価値観』と私は解釈していいと思うんですが、それに基づいて政治をしなさいと」


 「そして『智識ヲ世界ニ求メ 大ニ皇基ヲ振起スベシ』というのが一番最後なんですけど、日本だけに凝り固まっていたらだめですよと。世界に知識を求めて、大いに皇基、日本は神話の時代から皇室を中心に国が成り立っていて、この皇室は権力じゃなくて権威であり、国民のために神に祈る存在ですよ。その人たちを支える権力を持っているのは、時代によって武士であり、貴族でした。今は官僚・政治家なわけです。ご皇室が中心でその下に権力構造があってこの2つが一緒になって国民、大御宝を守るというのが皇基だと思うのです。そのような価値観を世界に広げなさいと書いてあるんですよね。この五箇条のご誓文は十七条の憲法と非常に似通ったところがあります。つまり十七条の憲法は千年以上の間脈々と生きてここに受け継がれてきたということなんですね」


「庶民を大御宝として一人一人が志を遂げることができるような国をつくってあげなさい、一人一人大事なのよと。あなたは身分が低いかもしれないけれども国が危機にあってはあなたの意見もいいなさい、みんなで政治、経済を論じて国をつくりなさいという考え方です。一人一人を大事にする考え方は日本国民だけが対象ではありません。第1次世界大戦が終わった後の世界秩序をどうつくっていくかという1919年のパリ会議で日本の全権代表が人種差別撤廃を国際連盟の基本の価値観に入れましょうと提案したことにつながっています」


 「世界中が驚きました。そして反対も強かった。アメリカのウィルソン大統領が『全会一致でなければこういうことは決められない』といって拒否するのです。日本は激しく抵抗しました。『今までは全て多数決だった。なぜこのことだけ全会一致なんだ』と。人種差別撤廃の提案は多数決では支持されていましたから、日本は粘ったのですが、一方的に却下された。そこで日本は『採決で可決されたということは議事録に残せ』といってそれは残っているんです」


 「日本の歴史上、日本は庶民を大御宝として大事にしました、身分の高い低い、金持ちか貧乏かに関係なくみんなが生きる価値がある社会をつくろうという考えがずっと日本の歴史に流れていた。それが第1次世界大戦の後、国際連盟をつくるときのわが国の人種差別撤廃の提言につながっていた」


 「今の中国のようにウイグルチベットを弾圧するという考え方とは全然違うんですよ。こうした歴史を日本人が思い出すことによって私たちは『ああ、われわれの祖先ってすごいんだなあ』『日本ってすごいんだなあ』と実感できるわけです。そしてこのようなことをアジアの人々、世界の人々に分かってもらえれば必ず共感を得ることができる。だからこういう日本の歴史を、大きな流れでとらえて、どんなにすごい国なのかということを学べば2020年の活力のもとになると思っています」

八紘一宇 - Wikipedia

昭和21年(1946年)より開廷された東京裁判において、「田中上奏文(Tanaka Memorial)」を歴史的真実として判決を導く裁判を進めていた検察側意見では「八紘一宇の伝統的文意は道徳であるが、…一九三〇年に先立つ十年の間…これに続く幾年もの間、軍事侵略の諸手段は、八紘一宇と皇道の名のもとに、くりかえしくりかえし唱道され、これら二つの理念は、遂には武力による世界支配の象徴となった」としたが、東條の弁護人・清瀬一郎は『秘録・東京裁判』のなかで「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」との被告弁護側主張が判決で認定されたとしている。


昭和32年(1957年)9月、文部大臣松永東は衆議院文教委員会で、「戦前は八紘一宇ということで、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発しておったようであります。」と発言した。昭和58年(1983年)1月衆議院本会議では、総理大臣中曽根康弘も「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった。」と説明した。

一方で、八紘一宇の考えが欧州での迫害から満州や日本に逃れてきたユダヤ人やポーランド人を救済する人道活動につながったとの評価がある。上杉千年は、「八紘一宇の精神があるから軍も外務省もユダヤ人を助けた」とする見解を示している。


八紘一宇の提唱者の田中自身は、その当時から戦争を批判し死刑廃止も訴えていることなどから、田中の真の思想に反してこの語だけが当時の軍部(のち行政府)に発掘され政策に利用されただけという解釈もできる。

佐藤信淵 - Wikipedia

『混同秘策』の冒頭に「皇大御国は大地の最初に成れる国にして世界万国の根本なり。故に能く根本を経緯するときは、則ち全世界悉く郡県と為すべく、万国の君長皆臣僕と為すべし」と書いて満州、朝鮮、台湾、フィリピンや南洋諸島の領有等を提唱したため、大東亜共栄圏という思想の「父」として知られているという見解も存在する。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140101#1388572398
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131231#1388486047
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130428#1367155252
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110414#1302791696