共にキリスト教徒(プロテスタント)、同志社大学出身の二人が、聖書をベースに宗教・哲学・社会問題と縦横無尽に語りつくす異色の対談集。
第一章では、カルヴァン派の佐藤氏とバプテスト派の中村氏が、同じプロテスタントでありながら宗派によって異なる、他力本願と自力本願などの相違点、終末論など神学的な問題を語りあう。
佐藤優:うさぎさんを見ていて思うのは、バプテスト派(中村うさぎが洗礼を受けた宗派)というのは、自分の行動はすべて自己責任であるという傾向が強い。人生の選択は自分で行うんだという、自力に対する感覚がすごく強いんです。だから、行動に伴う結果について反省する。
中村うさぎ:そりゃ、そうでしょ! 自分のやったことは、自分の責任じゃん! 当たり前じゃないの、それ?
佐藤:私の属するカルヴァン派は、その対極にあるんですよ。人間は生まれる前から、天国にあるノートに、選ばれる人救われる人の名前が載っている。この世でどんなに努力しようと、その結果は変わらないんです。
これを読んで、「じゃあ、カルヴァン派の人たちって、『どうせ結果は決まっているんだから』と、刹那主義、快楽主義にはしってしまうのでは……」と僕は思ったのです。
佐藤:バプテスト派はどちらかというと、禅に近い要素がある。自力本願。それに対してカルヴァン派は絶対他力だから、浄土真宗に近いわけ。他力本願っていうと適当な感じがするけれど、本当は、すべての努力をして全力をあげて訓練しても最後の勝ち負けは、これは運だ。どんなに努力を尽くしても、自力で自分が勝てると思うなという発想なんですね。
中村:ふーん、すでに勝ち負けが決まっているのに、なぜ努力する必要があるのかな。
佐藤:いや、そういう風には考えない、努力するのは人間として当たり前のことで、努力したから成功するというような発想自体を人間の思い上がりと考えます。
カルヴァン派の特徴は、試練に対して強いことなんです。選ばれているに違いないから、目前の試練を乗り越えようとするわけですよ。競争にも強い。絶対にあきらめないから。欧米で資本主義がこんなに発達したのは、実はカルヴァン派がプロテスタントの主流だからでもあるんです。
中村:努力で何とかしようとするのは人間の思い上がり、かぁ。
面白いね。私の目には「自分は神に選ばれている」って信じているカルヴァン派は傲慢に見えるけど、カルヴァン派から見ると「人間は努力すれば報われる」と信じる私のほうが傲慢なんだね。