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『アラブ500年史(下): オスマン帝国支配から「アラブ革命」まで』
P256

 東欧の共産主義政権と多くの共通点を持っていたシリア、イラクリビアアルジェリアのような左寄りのアラブ共和国はそうではなかった。単独政党国家であるこれらの国々は、大きな軍隊と国家計画経済を司る長期独裁者に支配されていた。チャウシェスクの死体の映像がアラブ世界に放映されると、いくつかのアラブの首都で深刻な社会不安がかき立てられた。ルーマニアでそういうことが起こったのなら、バグダードやダマスカスで同じような事件が起こるのを防ぐにはどうしたらよいのか?
 ソヴィエトがもはやアラブ同盟国のために立ち上がることは期待できないのは明らかだった。過去四〇年にわたり、アラブ共和国はソヴィエトに、兵器、開発援助、欧米の覇権に対抗するための外交的手助けを求めてきた。そういう時代は終わったのだ。一九八九年秋、シリア大統領ハーフィズ・アサドが、イスラエルと戦略的に対等に立つため、シリアに最新の武器を提供してくれるようゴルバチョフに強く求めたことがあった。ソヴィエト大統領はそれを冷たく拒絶して、「あなた方の問題はこのような戦略的観点から解決される見込みはない――いずれにせよ、われわれにはもはや勝ち目はないのです」と言った。アサドは打ちひしがれてダマスカスへ帰った。

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