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小保方晴子事件とソクラテス - ソフィストによる不正の相対化 : 世に倦む日日

ソフィストに始まった人間への関心を、人間の自覚にまで深め、『知を愛する営み』(フィロソフィア)に新たな意味を与えたのが、ソクラテスである。彼は、ソフィストたちと違って、真実と思われることではなく、真実そのものを追求し、人間の生き方についての普遍的な真理があると考えてそれを探求した。(略)ソクラテスが飽くことなく知を追求したのは、知ることが人間の生き方・あり方の全体に関わると考えたからである。彼によると、人間にとって大事なのは、ただ生きることではなく、『善く生きること』である。人はしばしば肉体・財産・地位などを自分だと思い、それらに恵まれていることを望んでいる。しかしソクラテスは、それらは自分の付属物にすぎず、真の目的は魂(プシュケー)であると主張した。人間は魂を善くすることによって善く生きることができ、魂への配慮が人間の最大の関心事であるはずである。そして彼は、人が善や正を知れば、それを知る魂そのものが善くなって、魂のすぐれたあり方である徳(アレテー)が実現し(知徳合一)、善い行いや正しい行いを実行すると考えた」(P.24-25)。

藤原保信の『西洋政治理論史』から引くと、ソクラテスはこう言っている。「アテナイ人諸君、けだし私が歩き回りながらしたことは、老若全てに向かって、身体と財貨に対してではなく、何よりも魂の最高の完成に対して諸君の主要なる関心を向けるよう勧説することであり、個人にとっても国家にとっても、富が徳をもたらすのではなく、徳が富やその他の全ての善きものをもたらすのであるということを説き明かすことであった」(P.23)。

ソクラテスは脱獄や助命の嘆願の一切を拒否し、自ら死を選ぶことによって、自らの思想に殉じ、生命よりも徳の重要なことをその行動によって示していったのである」(P.23)。

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