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ウクライナ国家のスローモーション崩壊とラダ(議会)降伏: マスコミに載らない海外記事

現在の統治上の真空状態を巡る上記説明は、全て、クーデターそのものよりも早く始まっていた出来事が起源なのだ。何よりもまず、1991年の独立以来、ウクライナは、アメリカにとって、地政学的チェスの駒だった。ズビグニュー・ブレジンスキーが、アメリカのユーラシア勢力圏における、軸兵としての、ウクライナの役割について、1997年の著書“グランド・チェスボード”の中で、“ウクライナが無ければ、ロシアは、ユーラシアの帝国であることを停止する”と巧みな表現をしている。ビクトリア・ヌーランド国務次官補が、アメリカが、1991年以来、ウクライナにおける“民主主義の推進”に、50億ドル使ったことを認めている通り、この戦略的助言は、国務省では、確かにしっかり聞き入れられている。クーデターの前にキエフを荒廃させたマイダン暴徒に見られるように、この投資は“民主主義”の為ではなく、むしろ暴民政治による体制転覆の為だった。ユーロマイダンという、長期にわたる市街戦が、国家を悪魔化して描く、欧米による強烈なプロパガンダ・キャンペーンと相まって、必然的に、クーデター直後の国家構造粉砕をもたらした。こういうことは、現在と比べれば、統治機関が、依然として、比較的機能していた、2004年のオレンジ革命ではおきなかった。


ウクライナで政権転覆を起こし、傀儡を利用して、ロシアを攻撃するというアメリカの地政学的狙いさえなければ、ウクライナに危機はなかっただろう。避難民が東に向かって殺到することもなく、ウクライナは、文明の断層線に沿って、分裂することもなかっただろう。混沌ブラック・ホールの拡大は、ひたすら、不安定化が始まる前までは、ウクライナが、その加盟国候補であった、ロシアのユーラシア連合という統合目標を粉砕する為の脅迫を、最後までやり抜こうとするアメリカの取り組みが原因だ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140731#1406804170
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140730#1406717211
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140501#1398941532