https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

もう能力不足を「環境のせい」には出来ない--羽生善治氏が予測する、ネット時代に必要な成長力とは? | ログミー

羽生:「読み」と「大局観」ってあるんですけど、読みって基本的に論理的な積み重ねの地道な作業で、大局観っていうのは勘・感性みたいなものなんですけど、だんだん大局観の部分は年齢とともに精度は上がって来て、これはある意味楽なんですよ。勘で、一目その場面を見て「これはこうやるべきだ」とか「これは明らかにダメだ」とすぐわかるようになると楽なんで。


でも地道な読みとか、きめ細かい作業みたいなものも疎かになってしまうと、最後の決断のところの精度が鈍くなってしまうっていうことはあるので。

羽生:どこを見て、何を求めて、どこを目指してっていうところに結局最後は行きついてしまうのかなと、私は感じてることがあるんですよね。もちろん勝負だから「勝ちたい」っていう気持ちもあるし、見てる人たちが感心・感動してくれるとか、そういうものも残したい。何を目指すかっていうのは、何を決めるか、何をするかっていうときに、やっぱりすごく大きいのかなと。


実力、力を上げてくっていうのは、そういうこだわりをいかにたくさん持ってるかってことと、ほとんど比例してる感じなんですよ。「こういうことは絶対しない」「こういう手は絶対指さない」「こういう形は何があっても自分は作らない」とか、そういうものをいかにたくさん持ってるかっていうことが、力を上げてくことに関連していて。


そうするとほんのちょっとした隅っこの小さいところだけで争ってる感じなんですけど、でも、そういうこだわりがあるから、力を上げていくことができるっていうことはあるんですよ。


知らない人から見ると、将棋のプロの人って何でも手が見えて、お見通しで常にやってるって感じなんですけど、全然違うんですよ。本当にその場しのぎっていうか、その場で何とかするっていうケースがほとんどで。五里霧中で、手探りで次どこ行こうかなあっていう感じなんで。

羽生:結果を求めてしまうより、プロセスの中に楽しみを見出せるかどうか、やってること自体に充実感を感じるかどうか、そのプロセスのところに意義があるかどうかとか、それのほうがむしろ大事なのかなと。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141015#1413369531