今になって思い出した。2009年に刊行した『イスラムの怒り』で、2006年ワールドカップでのジダンの頭突き事件と、2005年のパリ郊外での若者たちの暴動の話を書いていた。小見出しに「テロの予兆」とあった。
ジダンの頭突き事件のとき、多くのメディアは人種差別では?テロリストって言われたのでは?憶測を書いていたが、私は違うと思っていた。ジダンはアルジェリアからの移民家族に生まれたが、本人はまったくイスラム色はないそうだ。そのジダンが、マテラッツィに何を言われてあれほど激怒したか
女性親族を性的に侮辱する発言以外にはないと私は考えていた。ジダンは何と言われたのかを明らかにしなかった。後で、姉に対する侮辱だったことがわかった。彼は、サッカー人生の最後に退場させられてもなお、暴力に出たのである。すごく大切にしている人を性的に罵ったとき、暴力的反応は抑止できない
注目すべきは、事件後のテレビ番組でジダンが勝った言葉。「悪意のある挑発をした者は罰せられず、暴力的に反応した者だけがいつも罰せられる。これは不公平だ」ジダンの件をイスラムと結びつけようというのではない。
しかし心のどこかに、イスラム教徒がもつ「かけがえのない存在への侮辱には力でやりかえしても仕方ない」という思いを彼ももっていたのではないか。ふつうのイスラム教徒に、もし、母親、妻、姉妹、娘などを性的に侮辱することばを浴びせ続けたら、確実に刃傷沙汰になる。
刃傷沙汰に至らなくとも、彼らの怒りはすさまじいことになる。預言者ムハンマドを侮辱することも、同じような感覚をもたらしている。
ジダンは、サッカー人生最後の大舞台をレッドカードで汚してまで姉への侮辱を許さなかった。テレビ番組では、自分を慕ってくれていた子どもたちに謝罪したのだが、では頭突きを後悔しているのか?と聞かれて答えたのが、先のツイート。その後、フランス政府の気の遣いように驚いた。
不名誉なことをしたはずなのに、シラク大統領は官邸で彼を含めてチーム一同をねぎらった。それまで、賛否両方の意見がメディアに溢れていたのだが、すーっと消えた。彼の発言は、聴きようによってはテロを容認するようにも聞こえるからである。
前年、パリ郊外で移民の若者たちが暴れ、全土に拡大した。治安を担当する内相は後の大統領サルコジ。当時、暴れていた移民の若者たちには宗教色はなかったが、彼らが闘い疲れてイスラムに回帰し、心の平安を得ていくことは容易に想像できた。その中のごく一部が過激な集団に引き寄せられていくことも